『維新史』 維新史 1 p.58

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名を守澄法親王と改めさせられ、延寶八年の御入寂まで江戸の上野に在らせら, 保元年十月、親王宣下があつて、青蓮院宮尊純法親王の附弟として御名を尊敬法, 親王と稱せられるに及んで、同四年九月御東下を仰ぎ、天海の寂後に至つて漸く, の御東下を奏請した。皇子は上皇第四の皇子にましまして、寛永十一年閏七月, 御降誕、此の時御年僅かに五歳である。依つて幕府は其の御成人を待つたが、正, 其の實現を見たのである。其の後、法親王は、慶安二年八月に至り二品より一品, に陞敍せられた。明暦元年十月天台座主宣下、十一月輪王寺の宮號を賜はり、御, 抑幕府が法親王の東下を奏請した眞意に就いては、世上に揣摩臆説が少くな, れた。かくて爾後、輪王寺門主は歴世法親王の相續せられる所となつたのであ, いが、「東叡開山慈眼大師傳記」には、, 家光公遠考台宗末、且復要追加東照宮威光、仍合意於海師、告紫禁之闕、請第二宮,, る。, 以爲日光山門主。于時鳳雛甚妙齡也。此故延光臨之淑裝。海師預表聞家光, 公曰、他時必令此宮爲一品親王、而冠諸宗頂上。家光公唯諾。, 第一編尊王論の發達, 五八

  • 第一編尊王論の發達

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  • 五八

注記 (16)

  • 1058,570,64,2260名を守澄法親王と改めさせられ、延寶八年の御入寂まで江戸の上野に在らせら
  • 1495,572,67,2261保元年十月、親王宣下があつて、青蓮院宮尊純法親王の附弟として御名を尊敬法
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  • 1279,570,61,2266其の實現を見たのである。其の後、法親王は、慶安二年八月に至り二品より一品
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