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井白石の如く、政治の實權を掌握するものすら出づるに至つた。, る素地をなすに至つた。茲に儒官の地位は大いに向上し、家宣・家繼に仕へた新, は、異學禁止令を發して朱子學のみを正學と定め、岩, 知らない側近・有司も出づるに至つた。茲に於いて寛政二年五月、十一代將軍家, 形式に流れるに至つた。八代將軍吉宗が儒官の進講は風教維持に資するもの, のみに止めしめ、實用的の學問として新に洋學を奬勵したのは、蓋し其の故であ, 文教奬勵は幕政の文治化と云ふべく、其の弊の極まる所は、遂に實用を缺いて, 依つて興つた堀河學派(古義學派)、荻生徂徠に依りて唱へられた讓園學派(古文辭, 時代に入るや、此の趨勢は愈〻甚だしきを加へて、聖堂に祀る孔子の何者たるかを, つた。加ふるに林家には鳳岡以後偉才ある者無く、此の間に乘じて伊藤仁齋に, 有爲の才を儒官に拔擢して、斯學の再興を圖つた。越えて八年、家齊は家宣以來, 學派)の二大古學派は全盛を極めた爲に、朱子學派は漸次凋落し、明和・安永の田沼, 齊時代の老中松平定信, の第三子述齋衡をして故大學頭林信敬の後を繼がしめ、又, 村藩主松平乘薀, 中絶してゐた聖廟參拜の儀を復興し、翌九年十二月には弘文院の規模を擴張し, 能登, 越中, 守, 守, 寛政異學, の禁, 第一編尊王論の發達, 八四
割注
- 能登
- 越中
- 守
頭注
- 寛政異學
- の禁
柱
- 第一編尊王論の發達
ノンブル
- 八四
注記 (24)
- 1592,561,55,1808井白石の如く、政治の實權を掌握するものすら出づるに至つた。
- 1701,563,57,2266る素地をなすに至つた。茲に儒官の地位は大いに向上し、家宣・家繼に仕へた新
- 590,1371,56,1457は、異學禁止令を發して朱子學のみを正學と定め、岩
- 704,560,59,2274知らない側近・有司も出づるに至つた。茲に於いて寛政二年五月、十一代將軍家
- 1374,559,59,2263形式に流れるに至つた。八代將軍吉宗が儒官の進講は風教維持に資するもの
- 1264,559,59,2267のみに止めしめ、實用的の學問として新に洋學を奬勵したのは、蓋し其の故であ
- 1484,627,57,2195文教奬勵は幕政の文治化と云ふべく、其の弊の極まる所は、遂に實用を缺いて
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- 355,561,57,2269有爲の才を儒官に拔擢して、斯學の再興を圖つた。越えて八年、家齊は家宣以來
- 935,556,62,2272學派)の二大古學派は全盛を極めた爲に、朱子學派は漸次凋落し、明和・安永の田沼
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