『維新史』 維新史 4 p.355

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如くであつた。, て歸朝し、明治新文明の建設に貢獻する處多大なものがあつた。, 薩州藩に於いても、豫て海外の形勢に明るい松木弘庵, 殘留した庸三・彌吉・謹助等の同僚は、其の後何れも工學を專攻すること數年にし, 留學生派遣の急務を説いてゐたが、遂に藩廳は慶應元年正月に至り、藩士中の俊, たことも特筆すべき事件である。彼は箱館出帆の後、各地に寄港して翌慶應元, 又元治元年の春、安中藩士新島襄が箱館より密かに米船に搭じて、單身渡米し, 此の間に得た新知識は、後年の活躍に絶大な寄與を爲したのである。又此の時, 多・俊輔の兩名は滯英一年未滿にして歸朝の已むなきに至つたとは言へ、彼等が, 師として明治七年に歸國し、翌年京都に同志社を創設した。, 年八月に至り、漸くボストン港に到著した。次いで同市の紳商アルフヒヤス、ハ, 行は同行の歐洲視察員と共に、幕府を憚つて何れも假名を用ひたが、それは左の, 秀十五名を簡拔し、幕府の禁令を破つて密かに之を英國に派遣した。留學生一, ーデーの盡力に依つて英學を修め、アンドバーの神學校を卒へ、最初の耶蘇教牧, 五代才助, 等が屡〻, 後寺島, 宗則, 厚, 友, 留學生, 薩州藩の, 渡米, 新島襄の, 第三章新條約國と西洋文化の移入第三節留學生の派〓, 三五五

割注

  • 後寺島
  • 宗則

頭注

  • 留學生
  • 薩州藩の
  • 渡米
  • 新島襄の

  • 第三章新條約國と西洋文化の移入第三節留學生の派〓

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  • 三五五

注記 (26)

  • 360,569,53,398如くであつた。
  • 1531,572,60,1819て歸朝し、明治新文明の建設に貢獻する處多大なものがあつた。
  • 819,633,63,1534薩州藩に於いても、豫て海外の形勢に明るい松木弘庵
  • 1644,567,64,2280殘留した庸三・彌吉・謹助等の同僚は、其の後何れも工學を專攻すること數年にし
  • 701,564,64,2285留學生派遣の急務を説いてゐたが、遂に藩廳は慶應元年正月に至り、藩士中の俊
  • 1289,570,64,2279たことも特筆すべき事件である。彼は箱館出帆の後、各地に寄港して翌慶應元
  • 1404,637,65,2210又元治元年の春、安中藩士新島襄が箱館より密かに米船に搭じて、單身渡米し
  • 1759,570,64,2279此の間に得た新知識は、後年の活躍に絶大な寄與を爲したのである。又此の時
  • 1877,566,66,2277多・俊輔の兩名は滯英一年未滿にして歸朝の已むなきに至つたとは言へ、彼等が
  • 945,567,61,1689師として明治七年に歸國し、翌年京都に同志社を創設した。
  • 1175,569,63,2268年八月に至り、漸くボストン港に到著した。次いで同市の紳商アルフヒヤス、ハ
  • 469,562,65,2278行は同行の歐洲視察員と共に、幕府を憚つて何れも假名を用ひたが、それは左の
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  • 1059,565,63,2284ーデーの盡力に依つて英學を修め、アンドバーの神學校を卒へ、最初の耶蘇教牧
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