『維新史』 維新史 3 p.208

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村に流布して、多數尊攘志士が輩出するに至つたのであつた。, 乏しかつたに拘らず、一躍して土佐二十萬石に増封せられ、, が當初は公武合體を標榜しながら、後に一轉して倒幕運動を畫策するに至れる, のとは大いに異つてゐる。思ふに、これ土州藩と江戸幕府との歴史的因縁に由, を論ぜる書翰, るも毫も變ずることがなかつた。例へば、山内豐信, 思想に貢獻する所が尠くなかつた。其の他水戸學派・陽明學派も亦傳播したが、, の發達に大いなる功績を垂れ、若林強齋の望楠軒學派も此の地に流入して、尊王, 中に、, 來するものと考へられる。即ち藩祖山内一豐は關ケ原戰役前には遠江國掛川, に於いて僅かに六萬石を領したに過ぎなかつたが、戰役後には戰功が比較的に, 一方國學は鹿持雅澄によつて弘まり、茲に儒學・國學を總括せる土佐學は遍く郷, 第二は土州藩が一貫して公武合體に終始せる事實であつて、此の點薩長二藩, も拘らず、徳川氏に對しては譜代にも准ずべき恩義を感じ、其の情誼は幕末に至, 其の異常な, 恩賞はいたく時人を驚かしたのであつた。されば山内氏は外樣大名であるに, は松平慶永に宛てて國事, 石と成る, 後二十四萬, 文久二年五, 月十九日附, 容, 堂, 山内氏と, の關係, 徳川氏と, 第十編朝權の確立, 二〇八

割注

  • 石と成る
  • 後二十四萬
  • 文久二年五
  • 月十九日附

頭注

  • 山内氏と
  • の關係
  • 徳川氏と

  • 第十編朝權の確立

ノンブル

  • 二〇八

注記 (28)

  • 1410,561,73,1775村に流布して、多數尊攘志士が輩出するに至つたのであつた。
  • 702,554,70,1706乏しかつたに拘らず、一躍して土佐二十萬石に増封せられ、
  • 1166,562,76,2302が當初は公武合體を標榜しながら、後に一轉して倒幕運動を畫策するに至れる
  • 1045,561,77,2305のとは大いに異つてゐる。思ふに、これ土州藩と江戸幕府との歴史的因縁に由
  • 232,550,57,388を論ぜる書翰
  • 346,555,68,1487るも毫も變ずることがなかつた。例へば、山内豐信
  • 1644,567,78,2313思想に貢獻する所が尠くなかつた。其の他水戸學派・陽明學派も亦傳播したが、
  • 1748,573,78,2299の發達に大いなる功績を垂れ、若林強齋の望楠軒學派も此の地に流入して、尊王
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  • 927,555,76,2308來するものと考へられる。即ち藩祖山内一豐は關ケ原戰役前には遠江國掛川
  • 810,560,76,2301に於いて僅かに六萬石を領したに過ぎなかつたが、戰役後には戰功が比較的に
  • 1522,578,82,2291一方國學は鹿持雅澄によつて弘まり、茲に儒學・國學を總括せる土佐學は遍く郷
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  • 581,551,75,2309恩賞はいたく時人を驚かしたのであつた。されば山内氏は外樣大名であるに
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