『維新史』 維新史 1 p.122

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

の爲に「保建大記」を著して、保元・建久年間に於ける, 彰考館と稱した。「春秋左氏傳杜預の序に「彰往考來」とあるに據るものである。, て、寛文五年以降天和三年迄、前後二十年間賓客を以て遇した。其の名分節義を, 越えて元祿十一年史館は水戸に移されたが、同十五年史官の半ばは再び江戸, して光圀自ら其の主宰者となつて一切を督勵した。, 員となり、元祿六年總裁に進み、元文二年八十二歳で歿したが、其の間實に五十餘, 朽の書たるを得たのは、實に是等三士に俟つことが多かつた。澹泊は水戸の人、, 重んずる念は、先づ斯人に依つても著しく涵養せられたことを思ふべきである, 夙に朱舜水に學んで博聞多識、史論の中正を以て知られ、天和三年二十八歳で館, 年を修史の業に盡瘁した。潛鋒は山崎闇齋門の桑名松雲に學び、少壯十八歳で, に移ることとなり、爾後修史は江戸・水戸の二地に於いて行ふこととなつた。而, 史官中著名な人は安積澹泊覺・栗山潛鋒愿・三宅觀瀾, は遁れて長崎に留まつてゐたが、光圀は之を聘し, の三人で、「大日本史」の不, 而して當時明の遺臣朱舜水, 後西上皇の皇子尚仁親王, 政治の得失、君臣の是非を明かにして之を獻じ、次いで二十三歳の時、水戸に聘せ, 八條, 親王, 緯, 明, 瑜, 之, 安積澹泊, 栗山潛鋒, 三宅觀瀾, 第一編尊王論の發達, 一二二

割注

  • 八條
  • 親王

頭注

  • 安積澹泊
  • 栗山潛鋒
  • 三宅觀瀾

  • 第一編尊王論の發達

ノンブル

  • 一二二

注記 (28)

  • 358,1460,61,1392の爲に「保建大記」を著して、保元・建久年間に於ける
  • 1718,583,68,2223彰考館と稱した。「春秋左氏傳杜預の序に「彰往考來」とあるに據るものである。
  • 1493,588,69,2268て、寛文五年以降天和三年迄、前後二十年間賓客を以て遇した。其の名分節義を
  • 1271,649,72,2204越えて元祿十一年史館は水戸に移されたが、同十五年史官の半ばは再び江戸
  • 1058,586,59,1474して光圀自ら其の主宰者となつて一切を督勵した。
  • 594,577,66,2282員となり、元祿六年總裁に進み、元文二年八十二歳で歿したが、其の間實に五十餘
  • 830,578,66,2289朽の書たるを得たのは、實に是等三士に俟つことが多かつた。澹泊は水戸の人、
  • 1385,584,69,2276重んずる念は、先づ斯人に依つても著しく涵養せられたことを思ふべきである
  • 711,579,68,2277夙に朱舜水に學んで博聞多識、史論の中正を以て知られ、天和三年二十八歳で館
  • 476,576,67,2278年を修史の業に盡瘁した。潛鋒は山崎闇齋門の桑名松雲に學び、少壯十八歳で
  • 1163,586,67,2268に移ることとなり、爾後修史は江戸・水戸の二地に於いて行ふこととなつた。而
  • 946,651,61,1458史官中著名な人は安積澹泊覺・栗山潛鋒愿・三宅觀瀾
  • 1605,1464,61,1393は遁れて長崎に留まつてゐたが、光圀は之を聘し
  • 939,2199,60,651の三人で、「大日本史」の不
  • 1610,584,64,788而して當時明の遺臣朱舜水
  • 366,575,58,723後西上皇の皇子尚仁親王
  • 241,578,66,2276政治の得失、君臣の是非を明かにして之を獻じ、次いで二十三歳の時、水戸に聘せ
  • 394,1344,41,73八條
  • 351,1339,40,76親王
  • 972,2134,41,38
  • 931,2132,39,39
  • 1597,1397,41,35
  • 1644,1397,36,34
  • 955,331,41,163安積澹泊
  • 911,328,42,166栗山潛鋒
  • 868,332,42,163三宅觀瀾
  • 1842,713,45,524第一編尊王論の發達
  • 1837,2379,40,105一二二

類似アイテム