『維新史』 維新史 1 p.301

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三幕府財政の窮迫, て米價は暴落し、正徳五年に於いて一石二百三十匁であつたものが、翌々享保二, 保十七年以降寛保元年迄の次の十箇年平均毎一箇年の剰餘として、米四萬八千, に武士百姓等の困窮は甚だしかつた。幕府は種々米價引上策に腐心し、法定價, 年には百三十匁乃至百五十八匁に下り、更に翌年には三十三匁に下落した。爲, 格をも定めたが、充分奏功するに至らず、遂に元文元年には、從前の政策を改めて, 享保の治に力を致せる吉宗が職を子家重に讓り、更に數年ならずして薨ずる, 五百七十五石餘、金三十七萬四千五百十九兩餘とを擧げてゐるのに明瞭である。, 貨幣改惡を企圖し、正徳の制より遙かに品位の劣つた元文金銀を鑄造した。此, 組頭向山源太夫の著「誠齋雜記」に、享保七年より同十六年に至る十箇年平均毎一, 出目に依る利盆を收め、財政状態は大いに好轉するに至つたことは、幕末の勘定, の爲、金銀數量の不足は補はれて、米價の騰貴となり、財界に活氣を與へ、幕府も亦, 箇年の剩餘として、米三萬五千六百五十四石餘、金十二萬七千五百五十七兩餘、享, の財政, 田沼時代, 第二編封建制度の分解, 三〇二

頭注

  • の財政
  • 田沼時代

  • 第二編封建制度の分解

ノンブル

  • 三〇二

注記 (17)

  • 338,987,59,577三幕府財政の窮迫
  • 1706,580,58,2255て米價は暴落し、正徳五年に於いて一石二百三十匁であつたものが、翌々享保二
  • 698,577,72,2262保十七年以降寛保元年迄の次の十箇年平均毎一箇年の剰餘として、米四萬八千
  • 1483,581,60,2257に武士百姓等の困窮は甚だしかつた。幕府は種々米價引上策に腐心し、法定價
  • 1594,577,59,2259年には百三十匁乃至百五十八匁に下り、更に翌年には三十三匁に下落した。爲
  • 1371,574,62,2260格をも定めたが、充分奏功するに至らず、遂に元文元年には、從前の政策を改めて
  • 215,649,74,2187享保の治に力を致せる吉宗が職を子家重に讓り、更に數年ならずして薨ずる
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  • 1260,575,60,2264貨幣改惡を企圖し、正徳の制より遙かに品位の劣つた元文金銀を鑄造した。此
  • 922,562,62,2266組頭向山源太夫の著「誠齋雜記」に、享保七年より同十六年に至る十箇年平均毎一
  • 1036,569,58,2277出目に依る利盆を收め、財政状態は大いに好轉するに至つたことは、幕末の勘定
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  • 1827,2347,42,119三〇二

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