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四遣日使節歸國後の日露關係, を述べ、漂民, 失つた」とて、日露兩國の關係は斯くて永遠に絶たれたと歎じ、江戸幕府に變革の, 滿腔の悲憤を抱いて、日本海を北上し、宗谷より樺太に寄港し、ペトロバウロウス, 派遣は斯くて終つた。吾人は新しき利盆を得ないばかりか、嘗て得たものをも, クに歸航した。而してフォン、クルーゼンステルンは、同地より再び出帆して樺, 去せしめた。レザノフ等は豫期に反し、半歳に亙る對日交渉も全く水泡に歸し、, 太北部の探險を行つたが、其の紀行に誌して曰ふ、「多くの期待をかけられた使節, 起らない限り鎖國の傳統を打破することの困難なる所以を述べてゐる, フを立山役所に引見し、幕府の諭書を交附し、國法を説いて通商を許さざる所以, を提出して、使節一行を解散し、自らはカディアク島よりシトカに至る露西亞植, は長崎に來り、新長崎奉行肥田頼常, ベトロパウロウスクに上陸したレザノフは、政府に復命書, を受取り、眞綿・白米・鹽を多量に贈つて、三月二十日に退, 前奉行成瀬正定と共に、露使レザノ, 文化二年, 門尉, 西暦一八〇五, 寛政六年漂著せる仙, 臺領の船子津太夫等, 年、露暦五月, 左衞, 豐後, 守, 來寇, 露米會社, 員の蝦夷, 日露交渉, の不成功, 第一章海外勢力の壓迫第二節露國勢力の南下, 四一五
割注
- 門尉
- 西暦一八〇五
- 寛政六年漂著せる仙
- 臺領の船子津太夫等
- 年、露暦五月
- 左衞
- 豐後
- 守
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- 來寇
- 露米會社
- 員の蝦夷
- 日露交渉
- の不成功
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- 第一章海外勢力の壓迫第二節露國勢力の南下
ノンブル
- 四一五
注記 (31)
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- 1405,571,58,2263滿腔の悲憤を抱いて、日本海を北上し、宗谷より樺太に寄港し、ペトロバウロウス
- 1065,568,58,2270派遣は斯くて終つた。吾人は新しき利盆を得ないばかりか、嘗て得たものをも
- 1288,580,58,2270クに歸航した。而してフォン、クルーゼンステルンは、同地より再び出帆して樺
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- 1177,574,59,2271太北部の探險を行つたが、其の紀行に誌して曰ふ、「多くの期待をかけられた使節
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- 1746,585,58,2262フを立山役所に引見し、幕府の諭書を交附し、國法を説いて通商を許さざる所以
- 374,578,58,2267を提出して、使節一行を解散し、自らはカディアク島よりシトカに至る露西亞植
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