『維新史』 維新史 1 p.589

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の基たる所以を説明し、參考として弘化元年, に締結した米清修好通商條, 後、直ちに外交折衝に移つた。, 小倉・松代兩藩をして陸上を、鳥取藩をして海上を、夫々嚴重に警備せしめた。林, を説明し、彼の要求條項の内、薪水食糧の給與及び漂流民保護の件は容認すべき, を始め米國使節應接掛は、應接所に於いてペリーと會見し、歡迎の儀禮を了へた, 隨へ、五百の武裝水兵に護られて殷々たる禮砲發射裡に上陸した。日本側では, の準備は著々進行した。十日の正式會商の當日、ペリーはアダムス以下幕僚を, の間暫く長崎に渡來すべしとの遷延策を取つた。ベリーは一應日本政府が從, 來、米國漂流民に對して加へた拘束に關して、人道に反する所以を論難したが、林, には應接掛の全權委任状寫を米國側に交附し、十日より開始さるべき日米交渉, も、それが爲、何處の港を開放すべきかを決定するには、五年の期間を要する故、其, の示せる妥協的態度に滿足して深く追究せず、更に進んで外國貿易の、富國強兵, 林應接掛は先づ將軍の薨去を告げ、俄かに國法を改變すべき時期でない所以, 二月八日、林煤以下の應接掛及びアダムスは、急設の横濱應接所を檢分し、九日, 西暦一八, 四四年, 第一囘會, 商, 第三章開國第二節ペリーの再航と和親條約の締結, 五九一

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  • 西暦一八
  • 四四年

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  • 第一囘會

  • 第三章開國第二節ペリーの再航と和親條約の締結

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  • 五九一

注記 (21)

  • 388,591,63,1260の基たる所以を説明し、參考として弘化元年
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