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ら、米國官吏の渡來は、早くとも安政二年七・八月頃と豫想されたが、幕府の要路者, を與へた。尤も條約に依れば、調印の日より十八箇月以後と定められてゐるか, 況んや江戸に近き下田に駐紮するといふことは、幕府に對して一〓大なる不安, が、併し是に對する措置對策は、遂に確立するに至らなかつた。, は夙に此のことに深甚の注意を拂つてゐた。老中阿部正弘も、恐らく米國が早, 官吏の駐紮を見ない我が國としては、誠に疑惧の念を深めざるを得なかつた。, 併し常に外國人と接觸して、次第に世界の大勢に通じて來た出先吏僚の間に, 折衝の間強硬に反對したにも拘らず、遂にペリーの執拗な要求に依つて、其の挿, ゐるが、我が國に於いては素より斯くの如き條文の必要を認める者はなく、條約, 抑日米和親條約は、第十一條に米國官吏が下田に駐紮し得ることを規定して, 晩通商を要求すると共に、官吏を下田に駐紮せしめるであらうと推測してゐた, 入を許したのであつた。併し長崎駐紮の和蘭理事官は姑く措いて、國史上外國, は、米國官吏駐紮の許可も亦止むを得ぬとの意見が起つて來た。既に安政二年, ある。, 紫豫想, 下田奉行, 正弘の米, 國官吏駐, の許可論, 第五編朝幕の乖離, 二〇四
頭注
- 紫豫想
- 下田奉行
- 正弘の米
- 國官吏駐
- の許可論
柱
- 第五編朝幕の乖離
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- 二〇四
注記 (21)
- 777,556,79,2282ら、米國官吏の渡來は、早くとも安政二年七・八月頃と豫想されたが、幕府の要路者
- 893,557,77,2278を與へた。尤も條約に依れば、調印の日より十八箇月以後と定められてゐるか
- 1010,550,77,2284況んや江戸に近き下田に駐紮するといふことは、幕府に對して一〓大なる不安
- 432,558,70,1760が、併し是に對する措置對策は、遂に確立するに至らなかつた。
- 665,558,75,2281は夙に此のことに深甚の注意を拂つてゐた。老中阿部正弘も、恐らく米國が早
- 1128,541,78,2239官吏の駐紮を見ない我が國としては、誠に疑惧の念を深めざるを得なかつた。
- 316,625,76,2216併し常に外國人と接觸して、次第に世界の大勢に通じて來た出先吏僚の間に
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- 1479,548,76,2284ゐるが、我が國に於いては素より斯くの如き條文の必要を認める者はなく、條約
- 1592,602,77,2225抑日米和親條約は、第十一條に米國官吏が下田に駐紮し得ることを規定して
- 548,555,76,2282晩通商を要求すると共に、官吏を下田に駐紮せしめるであらうと推測してゐた
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