『維新史』 維新史 2 p.520

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赴いた。, 三公家間二派の對立, 左内への書状にも、, 白鷹司政通が幕府の政策を支持する態度に出てゐた時は、一派の公家は政通と, 三國へ説得いたし、東側を味方に附け候へば、彌々正論に相成候樣申聞候。, 江戸の形勢を月照等志士に報告し、自らも亦八月二十四日江戸を發して京都に, 公家の内二派の對立は安政五年夏の頃に至つても尚續けられてゐた。前關, の爲めに閉塞致居、兩卿と申内、西側一人に相成候へば、獨裁の器量に無之、何卒, 堺町東西を除け、當時有志の御方々不殘御同志御周旋の由に候へども、彼兩卿, とある。堺町東は鷹司家を指し、同西は九條家を云ひ、三國とは鷹司家の儒者三, 關白九條尚忠とを指彈してゐた。七月二日附在京福井藩士近藤了介から橋本, 國大學, のことである。同九日何者かが公家諸家へ投書したものにも「堺町東, (橋本景岳全集), の進退, 鷹司政通, 第六編戊午の大獄と其の反動, 五二〇

頭注

  • の進退
  • 鷹司政通

  • 第六編戊午の大獄と其の反動

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  • 五二〇

注記 (18)

  • 1626,567,53,196赴いた。
  • 1392,977,55,657三公家間二派の對立
  • 932,565,55,536左内への書状にも、
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