『維新史』 維新史 2 p.740

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した。, を經て、嘉永四年十二月老中と爲り、國事最も多端の際在職七箇年の長きに亙つ, る。又久世廣周は天保八年八月奏者〓となり、尋いで寺社奉行を兼ね西丸老中, の反動に威嚇せられて、凡て事勿れ主義を執り、凡ゆる對内問題に對して彌縫的, 老中に就任し、外國事務取扱と言ふ當時最も重大な國務を擔任してゐたのであ, の職を去つた。然るに此の度再役して閏三月九日勝手掛となつたのである。, 色彩濃かであつた爲、井伊大老在職中は頗る悲境にあり、遂に安政五年十月老中, 解決を爲すに腐心し、對外問題に對しても輿論に反して一歩一歩讓歩を敢てし, て幕政の樞機に參じてゐた。而して徳川齊昭・松平慶永と親しく、所謂一橋黨の, 故に廣周の閲歴の重かりしと信睦の職務の重かりしとは、自ら幕閣の中心を爲, 老井伊直弼の武斷政治を踏襲する力がなく、澎湃として朝野に起つた安政大獄, に至る間に本多忠民・安藤信睦, 此の幕閣の在任は、比較的長きに亙つたが、文久二年に入つては、三月より六月, ・板倉勝靜, 及び脇坂安宅等之に代つた。然れども此の幕閣も亦大, 及び久世廣周相次いで辭職し、水野忠精, 形藩, 和泉, 松山藩主, 守山, 周防守備中, 時に信正, と改む, 主, 幕閣, 久世廣周, 久世安藤, 第七編公武合體の氣運, 七四〇

割注

  • 形藩
  • 和泉
  • 松山藩主
  • 守山
  • 周防守備中
  • 時に信正
  • と改む

頭注

  • 幕閣
  • 久世廣周
  • 久世安藤

  • 第七編公武合體の氣運

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  • 七四〇

注記 (29)

  • 907,575,50,129した。
  • 1479,577,59,2277を經て、嘉永四年十二月老中と爲り、國事最も多端の際在職七箇年の長きに亙つ
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  • 1708,576,63,2281老中に就任し、外國事務取扱と言ふ當時最も重大な國務を擔任してゐたのであ
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