『維新史』 維新史 3 p.188

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し、會津藩主松平容保に重任を負はせたのは、畢竟其の結果であつたのである。, 藩主徳川慶勝・同茂徳・濱田藩主松平武成, 州藩主山内豐範, 淹留するの止むなきに至つたが、其の入京して薩長と威名を競はんとするの日, 横議暗躍し、酒井忠績の如きも全く之を坐視傍觀するに過ぎなかつた。更に土, は薩長二藩の威名のみが徒らに高く、自然志士・浪人は二藩の勢力を背景として, ざる所である。而も所司代たる者は常に譜代恩顧の小大名が之に任ぜられる, に過ぎざるが故に、其の聲望は到底薩長土三雄藩に比し難く、京洛に於ける幕威, きものではなかつた。是に幕府としては、京都を根本的に鎭撫する方策を考へ, は、目〓の間に迫つてゐた。斯くの如きは、幕府當路者としては固より忍ぶ能は, 月二日には毛利慶親も亦上京して、破約攘夷の藩論を定めたので、上國に於いて, 失墜の責は、必ずしも酒井忠義・本莊宗秀・酒井忠績等の政治的手腕のみに歸すべ, ることとなつた。牧野忠恭を以て宗秀に代ふると共に、新に京都守護職を設置, も亦藩地を發して七月十二日大坂に著き、會病んで同地に, 松平容保は美濃高須藩主松平義建, の第六子、天保六年十二月生る。尾州, は其の兄に、桑名藩主松平定敬, 攝津, 土佐, 右近, 將監, 越中, 守, 守, 守, の幕政參, 松平容保, 與, 第十編朝權の確立, 一八八

割注

  • 攝津
  • 土佐
  • 右近
  • 將監
  • 越中

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  • の幕政參
  • 松平容保

  • 第十編朝權の確立

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  • 一八八

注記 (30)

  • 453,560,66,2259し、會津藩主松平容保に重任を負はせたのは、畢竟其の結果であつたのである。
  • 213,552,63,1147藩主徳川慶勝・同茂徳・濱田藩主松平武成
  • 1407,561,57,462州藩主山内豐範
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  • 1524,559,59,2305横議暗躍し、酒井忠績の如きも全く之を坐視傍觀するに過ぎなかつた。更に土
  • 1638,562,63,2308は薩長二藩の威名のみが徒らに高く、自然志士・浪人は二藩の勢力を背景として
  • 1051,557,61,2299ざる所である。而も所司代たる者は常に譜代恩顧の小大名が之に任ぜられる
  • 925,560,62,2303に過ぎざるが故に、其の聲望は到底薩長土三雄藩に比し難く、京洛に於ける幕威
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  • 570,563,64,2295ることとなつた。牧野忠恭を以て宗秀に代ふると共に、新に京都守護職を設置
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