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抑土佐郷士の濫觴は、元龜・天正の頃、土佐を領せる長曾我部氏が家臣の大部分を, の間、藩の要路にあつた野中兼山, 十八年には、彼等の若干を郷士に取立てて慰諭したが、尋いで寛文年間に至る迄, に寶暦年間には、藩財政の窮乏の爲、拓地開墾の必要に迫られ、農商階級よりも取, 之が打破を叫び、急進尊王に走つた。而して土州藩は特にこれが顯著であつた。, 立てることとし、更に郷士株の讓渡をも公認したので、財力を以て郷士株を買ひ, 領内各地に土著させて、平時は耕作に從事せしめ、一朝有事に際しては、鋤犂を捨, てて干戈を執らしめたのに其の端を發する。これ彼等に「一領具足」の名ある所, に山内氏が入國したが、長曾我部の遺臣は是に反抗して一揆を起し、其の氣勢〓, する。其の後藩廳は郷士登用の範圍を擴張して、他國よりの浪人をも採用し、殊, 以である。其の後長曾我部氏は關ケ原役に西軍に屬して封土を沒收せられ、新, は此の時の創設に係るもので、土佐勤王黨の首領武市瑞山の祖は其の一人に屬, 當らしめ、之を領知として給與して、盛に郷士取立を行つた。所謂百人衆郷侍と, も亦、此等不平の浪人をして新田の開發に, るべからざるものがあつた。從つて山内氏は常に其の統御に苦しみ、先づ慶長, 傳右衞, 門、止, の遺臣, 長曾我部, 第十編朝權の確立, 二一〇
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- 傳右衞
- 門、止
頭注
- の遺臣
- 長曾我部
柱
- 第十編朝權の確立
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- 二一〇
注記 (21)
- 1641,563,66,2310抑土佐郷士の濫觴は、元龜・天正の頃、土佐を領せる長曾我部氏が家臣の大部分を
- 814,565,61,930の間、藩の要路にあつた野中兼山
- 930,560,68,2310十八年には、彼等の若干を郷士に取立てて慰諭したが、尋いで寛文年間に至る迄
- 326,561,69,2303に寶暦年間には、藩財政の窮乏の爲、拓地開墾の必要に迫られ、農商階級よりも取
- 1745,569,66,2315之が打破を叫び、急進尊王に走つた。而して土州藩は特にこれが顯著であつた。
- 207,560,68,2303立てることとし、更に郷士株の讓渡をも公認したので、財力を以て郷士株を買ひ
- 1527,562,69,2312領内各地に土著させて、平時は耕作に從事せしめ、一朝有事に際しては、鋤犂を捨
- 1406,565,68,2307てて干戈を執らしめたのに其の端を發する。これ彼等に「一領具足」の名ある所
- 1169,567,67,2301に山内氏が入國したが、長曾我部の遺臣は是に反抗して一揆を起し、其の氣勢〓
- 446,558,70,2311する。其の後藩廳は郷士登用の範圍を擴張して、他國よりの浪人をも採用し、殊
- 1289,564,67,2307以である。其の後長曾我部氏は關ケ原役に西軍に屬して封土を沒收せられ、新
- 567,561,68,2308は此の時の創設に係るもので、土佐勤王黨の首領武市瑞山の祖は其の一人に屬
- 685,559,68,2311當らしめ、之を領知として給與して、盛に郷士取立を行つた。所謂百人衆郷侍と
- 810,1662,58,1206も亦、此等不平の浪人をして新田の開發に
- 1049,565,68,2303るべからざるものがあつた。從つて山内氏は常に其の統御に苦しみ、先づ慶長
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- 1867,2379,44,128二一〇







