『維新史』 維新史 3 p.424

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た。今將軍が下坂して攝海を巡檢するに當つて、此の卿をも下坂せしめ、親しく, に要する費用等に就き説明したる上、實地に就いて説明せんことを述べた。, 卿に入説した爲、監視の爲、かくは姉小路公知の下坂を見たのであると。, の實施を實檢あらせられんことを請うた程であつたが、此の事は行はれなかつ, 小五郎・熊本藩士山田十郎・紀州藩士伊達五郎其の他七十餘人を隨へ、京都を發し, に當つた。貫祿從つて重く、文久三年春には實美と共に堂上の間に勢威が強か, て下坂し、西本願寺別院を館とした。公知は先づ勝義邦を旅館に招致して海防, 去年權中納言三條實美と共に攘夷別勅使として關東に下向して、朝幕間の折衝, 攝海の防備を巡檢せしむべしとの議があつた。或は云ふ、當時朝倉幸之助なる, 公知は命を受けて四月二十三日午刻長州藩士佐々木男也・同清水清太郎・同桂, 上の意見を徴したが、義邦は詳細に砲臺築造の計畫、海岸防禦の方法並びに此等, つた。故に慶喜は東下に際し、特に朝廷に奏して兩卿をも東下せしめられ、攘夷, 説客があつて、將軍は攝海を巡視したる後、直ちに江戸に逃げ歸るのであると公, 當時尊攘派の最も倚頼してゐた公卿の一人は國事參政姉小路公知であつた。, 巡檢, 知の攝海, 妨小路公, 公知下坂, 第一章尊攘運動の極盛第四節姉小路公知の遭難, 四二五

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  • 巡檢
  • 知の攝海
  • 妨小路公
  • 公知下坂

  • 第一章尊攘運動の極盛第四節姉小路公知の遭難

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  • 四二五

注記 (20)

  • 1295,559,65,2307た。今將軍が下坂して攝海を巡檢するに當つて、此の卿をも下坂せしめ、親しく
  • 320,553,66,2194に要する費用等に就き説明したる上、實地に就いて説明せんことを述べた。
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