『維新史』 維新史 3 p.632

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京得ト言上仕不申而ハ、折角父子之微衷相達申間敷、天闇咫尺日夜瞻望實以痛心, たが、會津藩士秋月悌次郎が主計の上京を評して、次の如く言つてゐる。, なりとも上京を許されたしと請うたが、朝廷は依然之を許されなかつた。, に下つて持ち登るべしとあつたので、主計は「宰相父子縷々申含候趣モ有之、私上, 罷在候。猶又先日根來上總儀上京御許容不被爲在、又々同樣被仰付候而ハ、於父, 當時公家及び在京諸大名中には、主計の處置に就いて議論が合しなかつた。, とも、同日以後の叡慮ハ眞正にあらす。即ち尹宮及ひ薩會の意より出しもの, 表向ハ悔悟謝罪の爲めと申居れとも、内實ハ八月十八日以前の叡慮眞正なれ, 何等の御沙汰にも接しないので、十九日重ねて、早々入京の許可を得たしと再願, 在京の一橋慶喜・松平容保・島津久光・黒田慶贊・伊達宗城等は屡〻會合して議を凝し, した。此の日勸修寺家より達があつて、主計持參の取調書は、京都留守居が大坂, に入京の許可を請ひ、二十七日伏見の長藩用達所に至り、別して供方を省略して, 動取調書を携へて上坂したによつて、入京の許可あらんことを請うた。然るに, 子如何計當惑可仕、殊ニ闔、藩人心之程モ不堪掛念之至」(忠正公一代編年史)とて切, ける公家, 及び諸大, 京都に於, 名の意見, 京許され, ず, 第三章八月十八日の政變第六節政變後の七卿及び長州藩の動靜, 六三三

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  • ける公家
  • 及び諸大
  • 京都に於
  • 名の意見
  • 京許され

  • 第三章八月十八日の政變第六節政變後の七卿及び長州藩の動靜

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  • 六三三

注記 (22)

  • 1392,551,69,2303京得ト言上仕不申而ハ、折角父子之微衷相達申間敷、天闇咫尺日夜瞻望實以痛心
  • 561,555,68,2050たが、會津藩士秋月悌次郎が主計の上京を評して、次の如く言つてゐる。
  • 921,553,63,2116なりとも上京を許されたしと請うたが、朝廷は依然之を許されなかつた。
  • 1511,551,71,2301に下つて持ち登るべしとあつたので、主計は「宰相父子縷々申含候趣モ有之、私上
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  • 795,616,68,2189當時公家及び在京諸大名中には、主計の處置に就いて議論が合しなかつた。
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