『維新史』 維新史 3 p.645

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横濱鎖港の督促を行ふべき事を命ぜられた。, たのは、「八月十八日卒然暴激家の意見を擯斥せられた事故、此の際朝廷に於て此, より歸京の途に就き、, れなき嫌疑を起すへきかとて、一時人心を鎭靜せしめらるゝ爲」(續再夢紀事)であ, 少たりとも開國の御口氣ある時ハ、扠こそ薩奸の尻押に出たるものなれなと、謂, 西國鎭撫使の設置は、當然廢止される事となり、十九日鎭撫使熾仁親王に對して, 州藩に差遣せられ、九州をも巡視すべしとの命を受けてゐたのであるが、是にも, 其の儀に及ばずと達せられた。更に二十四日、嚮に攘夷監察使正親町公董は長, と仰せ出された。政變後に於いて「不待幕府之示命」と云ふ強硬な文字が使はれ, 召還の命が發せられた。公董は九月十日筑前國黒崎, つた。更に二十四日、政變後幕府が果して攘夷の勅旨を遵奉するかどうかを懸, に、東下して幕府に, 念あらせられ、因州藩主池田慶徳・阿州藩世子蜂須賀茂韶, かくの如く攘夷の督促が仰せ出されたが、尊攘派が中川宮を嫌つて畫策した, 王之諸藩不待幕府之示命、速可有掃攘之由叡慮被仰下候事。(定功卿手録), 途中三田尻に於いて三條實美と會見し、二十八日に入京したが、十月七日實美と, を辭退した, 遠賀, 二人は後之, 淡路, 郡, 守, 西國鎭撫, 使の廢止, 使の召還, 攘夷監察, 第十二編公武合體運動の進展, 六四六

割注

  • を辭退した
  • 遠賀
  • 二人は後之
  • 淡路

頭注

  • 西國鎭撫
  • 使の廢止
  • 使の召還
  • 攘夷監察

  • 第十二編公武合體運動の進展

ノンブル

  • 六四六

注記 (28)

  • 930,562,66,1299横濱鎖港の督促を行ふべき事を命ぜられた。
  • 1506,570,78,2292たのは、「八月十八日卒然暴激家の意見を擯斥せられた事故、此の際朝廷に於て此
  • 317,2259,58,613より歸京の途に就き、
  • 1275,569,74,2293れなき嫌疑を起すへきかとて、一時人心を鎭靜せしめらるゝ爲」(續再夢紀事)であ
  • 1391,567,75,2301少たりとも開國の御口氣ある時ハ、扠こそ薩奸の尻押に出たるものなれなと、謂
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  • 444,557,74,2305州藩に差遣せられ、九州をも巡視すべしとの命を受けてゐたのであるが、是にも
  • 565,559,78,2303其の儀に及ばずと達せられた。更に二十四日、嚮に攘夷監察使正親町公董は長
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  • 190,558,78,2303途中三田尻に於いて三條實美と會見し、二十八日に入京したが、十月七日實美と
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