『維新史』 維新史 4 p.76

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の活躍が日と共に熾となり、又長州藩家老盆田右衞門介が石清水社を中心とし, 長州藩士等の説得に當らせられては如何との議もあつたが、之は實現しなかつ, 衞忠房及び一橋慶喜等參内して、長州藩士の處置に就いて朝議を催された。朝, 解決せんことを主張せられた。當時晃親王が還俗あらせられて以來、未だ取り, 議の大勢は討伐に傾いてゐたが、幟仁親王・熾仁親王御父子及び關白等は、平和に, 立てて國事に周旋あらせられた廉がない故、此の度勅使として勸修寺家に至り, 親王・熾仁親王御父子・朝彦親王・晃親王・關白二條齊敬・右大臣徳大寺公純・内大臣近, であるから、九門外に出されたいと建議した。斯く長州藩に同情してゐる公家, て陣を張るなど、洛外の長州藩兵も其の數を増加し來つたので、七月十五日幟仁, に十七日を以て兵を撤すべしと傳へしめた。越後は病と稱して、十七日奉行所, 翌十六日一橋慶喜は、大目付永井尚志・自付戸川鉾三郎を伏見に遣し、福原越後, 述べた。越えて十四日には五條爲榮は、容保が御所内に居ては人心が頗る不安, に於いて其の命を受け、何れ嵯峨・山崎・八幡の諸隊と協議の上、答申するであらう, た。, の建議, 五條爲榮, 越後説諭, 永井尚志, 等の福原, 十七日撤, 日の朝議, 退の命, 七月十五, 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役, 七六

頭注

  • の建議
  • 五條爲榮
  • 越後説諭
  • 永井尚志
  • 等の福原
  • 十七日撤
  • 日の朝議
  • 退の命
  • 七月十五

  • 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役

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  • 七六

注記 (25)

  • 1506,584,58,2272の活躍が日と共に熾となり、又長州藩家老盆田右衞門介が石清水社を中心とし
  • 700,579,65,2278長州藩士等の説得に當らせられては如何との議もあつたが、之は實現しなかつ
  • 1160,579,62,2283衞忠房及び一橋慶喜等參内して、長州藩士の處置に就いて朝議を催された。朝
  • 932,580,61,2283解決せんことを主張せられた。當時晃親王が還俗あらせられて以來、未だ取り
  • 1045,579,63,2280議の大勢は討伐に傾いてゐたが、幟仁親王・熾仁親王御父子及び關白等は、平和に
  • 815,581,62,2299立てて國事に周旋あらせられた廉がない故、此の度勅使として勸修寺家に至り
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  • 1620,583,58,2275であるから、九門外に出されたいと建議した。斯く長州藩に同情してゐる公家
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  • 341,590,64,2270に十七日を以て兵を撤すべしと傳へしめた。越後は病と稱して、十七日奉行所
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