『維新史』 維新史 4 p.138

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三總督及び副將の西下, 斯くて總督は愈〻下坂することとなつたので、慶勝及び茂昭は十月十二日午刻, 下された。, 奏等と會談の際、長州藩が悔〓伏罪して降服すれば、臨機應變寛大の處置に出づ, 征長總督徳川慶勝は十月十五日京都を發し、淀川を下つて同日夕大坂に著し, 參内し、小御所に於いて天顏を拜し、天盃を拜受した。又慶勝は御劒及び寮御, べきであらうと漏らしてゐる。斯くて將軍進發の期は未だ明かでなかつたが, 馬を、茂昭は御劍を夫々賜つたのである。此の日又慶勝に對し左の御沙汰書が, 當日慶勝は宮中に於いて晃親王・關白二條齊敬・内大臣近衞忠房及び議奏・武家傳, 征長軍出動の準備は、著々整へられたのであつた。, た。尋いで副將松平茂昭亦船路にて十八日曉著坂した。かくて總督は十月二, 大樹前軍總督發向之上、諸藩士氣引立彌盡力可有之御沙汰候事。, (尾州徳川家譜), 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役, 午, 正, 總督及び, 副將の下, 副將の參, 總督及び, 坂, 内, 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役, 一三八

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  • 總督及び
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  • 副將の參

  • 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役

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  • 一三八

注記 (24)

  • 410,995,57,719三總督及び副將の西下
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