Loading…
要素
割注ノンブル
OCR テキスト
の諸藩兵も十月下, 句より十一月上旬の間に各出征の途に就いた。, た。幕府は將軍進發の際には、旗本の後備に鷹らるべく、尋いで百州口に一隊を, 國境に出陣した。山崎, 説せんと決心してゐた。然るに兄水戸藩主徳川慶篤, ば其の先鋒を勤めたし、又進發なければ一隊を征長軍に加へられたしと出願し, 之を遺憾とするものが尠からず、八月二十五日幕府に上書して、將軍の進發あら, を通じてゐるとの嫌疑を受けてゐるとて、茂政の注意を促したこともあり、又兄, 他藩士に對し禮を失することなきやう戒め、物價の騰貴を制し、浦々の船舶の他, に屯したので、軍政及び民政に最も腐心する處があつた。即ち藩内に布告して, 因州藩主池田慶徳は早く廣島に出向するやう勸告したので、茂政は先づ家老池, 田出羽を備後御調郡三原に出陣せしめ、又先手を廣島に遣し、自らは十二月八日, に出征の隊伍を編制した。紀州藩は曩に征長總督を免ぜられたが、藩士中には, 藝州藩は、一方に征長軍の先鋒を命ぜられた上、他方には諸藩の兵が城下廣島, 國に出航することを禁じた。又兵制を改め、練兵を盛にし、特に九月晦日には新, ・勝山, ・庭瀬, は、茂政が長州藩と謀, 後守忠鄰, 藩主本多肥, 藩主板倉攝, 藩主三浦備, 後守弘次, 津守勝弘, 納言, 權中, 第二章第一囘征長の役第三節諸藩の出陣, 一五一
割注
- 後守忠鄰
- 藩主本多肥
- 藩主板倉攝
- 藩主三浦備
- 後守弘次
- 津守勝弘
- 納言
- 權中
柱
- 第二章第一囘征長の役第三節諸藩の出陣
ノンブル
- 一五一
注記 (28)
- 1426,2321,54,510の諸藩兵も十月下
- 1299,553,62,1354句より十一月上旬の間に各出征の途に就いた。
- 354,556,61,2287た。幕府は將軍進發の際には、旗本の後備に鷹らるべく、尋いで百州口に一隊を
- 1414,550,55,653國境に出陣した。山崎
- 1878,545,64,1544説せんと決心してゐた。然るに兄水戸藩主徳川慶篤
- 476,554,61,2283ば其の先鋒を勤めたし、又進發なければ一隊を征長軍に加へられたしと出願し
- 595,553,64,2282之を遺憾とするものが尠からず、八月二十五日幕府に上書して、將軍の進發あら
- 1763,551,67,2280を通じてゐるとの嫌疑を受けてゐるとて、茂政の注意を促したこともあり、又兄
- 951,545,66,2293他藩士に對し禮を失することなきやう戒め、物價の騰貴を制し、浦々の船舶の他
- 1069,554,63,2283に屯したので、軍政及び民政に最も腐心する處があつた。即ち藩内に布告して
- 1647,542,67,2297因州藩主池田慶徳は早く廣島に出向するやう勸告したので、茂政は先づ家老池
- 1531,549,64,2285田出羽を備後御調郡三原に出陣せしめ、又先手を廣島に遣し、自らは十二月八日
- 716,555,63,2282に出征の隊伍を編制した。紀州藩は曩に征長總督を免ぜられたが、藩士中には
- 1185,617,62,2219藝州藩は、一方に征長軍の先鋒を命ぜられた上、他方には諸藩の兵が城下廣島
- 839,552,61,2290國に出航することを禁じた。又兵制を改め、練兵を盛にし、特に九月晦日には新
- 1425,1893,50,130・勝山
- 1419,1485,56,134・庭瀬
- 1890,2244,56,589は、茂政が長州藩と謀
- 1400,1237,43,172後守忠鄰
- 1447,1238,42,214藩主本多肥
- 1451,1644,41,220藩主板倉攝
- 1452,2054,42,212藩主三浦備
- 1407,2055,42,164後守弘次
- 1406,1643,41,172津守勝弘
- 1872,2110,42,79納言
- 1917,2111,39,76權中
- 251,666,46,1132第二章第一囘征長の役第三節諸藩の出陣
- 257,2329,41,94一五一







