Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
間に、茲に又〓如禁門の變が勃發したのである。, 翌十五日長州藩支族吉川經幹, も亦岩國を發して、海路東上したのである。思, へば去歳八月、圖らざる政變に逢うて西下してより五卿は略一箇年の間長州藩, に滯留して、此の日の來るを待ち佗びてゐたのである。今東に向ふ一行は幾夜, 一長州藩の内憂外患, 第三章長州藩の恭順謝罪, かを船路の旅に明かして、轉た船足の遲きを歎いた。然るに其の内海の旅寢の, 元治元年七月十四日、長州藩世子毛利定廣, 路上坂の途に就いた。此の日三條實美・三條西季知等の五卿も亦其の跡を追ひ, は藩兵を率ゐて、三田尻より海, 第一節禁門變後の長州藩情, 長門, 物, 監, 守, 毛利定廣, 及び五卿, 等の東上, 第三章長州藩の恭順謝罪第一節禁門變後の長州藩情, 一五五
割注
- 長門
- 物
- 監
- 守
頭注
- 毛利定廣
- 及び五卿
- 等の東上
柱
- 第三章長州藩の恭順謝罪第一節禁門變後の長州藩情
ノンブル
- 一五五
注記 (21)
- 355,575,58,1351間に、茲に又〓如禁門の變が勃發したのである。
- 819,572,59,861翌十五日長州藩支族吉川經幹
- 825,1517,57,1335も亦岩國を發して、海路東上したのである。思
- 702,585,64,2269へば去歳八月、圖らざる政變に逢うて西下してより五卿は略一箇年の間長州藩
- 586,579,61,2273に滯留して、此の日の來るを待ち佗びてゐたのである。今東に向ふ一行は幾夜
- 1176,995,57,643一長州藩の内憂外患
- 1682,843,87,1271第三章長州藩の恭順謝罪
- 468,575,64,2269かを船路の旅に明かして、轉た船足の遲きを歎いた。然るに其の内海の旅寢の
- 1056,642,59,1196元治元年七月十四日、長州藩世子毛利定廣
- 936,569,66,2287路上坂の途に就いた。此の日三條實美・三條西季知等の五卿も亦其の跡を追ひ
- 1062,1998,58,854は藩兵を率ゐて、三田尻より海
- 1418,904,70,1044第一節禁門變後の長州藩情
- 1088,1865,41,83長門
- 810,1450,40,35物
- 851,1450,41,36監
- 1047,1866,36,39守
- 1068,309,41,166毛利定廣
- 1023,308,42,167及び五卿
- 979,306,39,168等の東上
- 251,684,51,1400第三章長州藩の恭順謝罪第一節禁門變後の長州藩情
- 258,2347,44,110一五五







