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至つたのである。, 而して禁門の變後、選鋒隊士は續々として山口に來り、圓龍寺に屯集した。彼等, した。急進派は彼等を指して俗論派と稱し、自らを正義派と稱したのである。, 覺悟を有してゐた事を窺ふ事が出來る。併し藩内保守派の擡頭するに及んで, 守派は其の責を急進派に嫁し、一藩の浮沈茲に極まれり、事態かくなる上は專ら, る守舊門閥の家柄の人々であり、是等の中、少壯者は一隊を編成して選鋒隊と稱, るが、長州藩兵が上國に大擧東上した頃は、急進派が保守派の勢力を抑へてゐた, 今や長州藩論は、如何なる幕府の嚴命をも甘受し、以て時局に對處せんとするに, のである。然るに今外國とは講和したものの、又藩難の迫らんとするに當り、保, 恭順を旨とし、總てを犧牲にしても、毛利家の社稷を存しなくてはならぬと主張, は藩主父子及び老臣等を説いて藩廳要路の更迭を計り、爲に八月二十日には保, と。此の文面によつて、藩主敬親が時宜によつては、幕府征長軍と一戰を交へる, した。これ即ち所謂純一恭順説である。保守派の藩士は、主として萩に在住す, 長州藩内に於いて、夙に保守・急進の二派が相對立した事は、既に述べた所であ, 俸守派の, 擡頭, 保守派の, 純一恭順, 沁, 第三章長州藩の恭順謝罪第一節禁門變後の長州藩情, 一六五
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- 俸守派の
- 擡頭
- 保守派の
- 純一恭順
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- 第三章長州藩の恭順謝罪第一節禁門變後の長州藩情
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- 一六五
注記 (21)
- 1561,579,54,466至つたのである。
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