『維新史』 維新史 4 p.170

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屏居してゐた。藩廳は藩内動搖の時に當り、其の起用を計り、追討使應接の重責, して屏居し、保守派は盆〻跋扈するに至つた。, を依囑したが、公輔は病んで任に鷹る事能はず、且つは保守派の勢威の熾となる, た。公輔は曩に徳山に赴いて吉川經幹に周旋の依頼をなして後、山口に歸つて, は、最後の御奉公と奉考、其儀をも不得、今更御奉公之廉目不相立、甚以奉恐入、死, と。麻田公輔は自刃し、井上聞多は凶手に傷つき、爲に藩廳に於ける急進派の勢, を見ていたく之を憂へ、遂に遺書一篇を草して之を藩主に上り、熱烈忠誠なる志, 御忠節、御信義、御孝道、今日に至り如何と苦心之餘り、自訴候も御免に相成候は, 氣を貽して、茲に四十二歳の生涯を終つたのである。其の遺書に云ふ、, 威はとみに減じたが、晦日家老中唯一の急進派である清水清太郎も亦、辭表を千, 後の餘罪消處無御座候得共、精神を天地之間に殘し候て成共、可奉酬浩恩候間、, 十月三日藩主は、吉川經幹・清末藩主毛利元純, 心事御憐恕被下成候樣奉願候, 翌日世子廣封も亦同地に至つた。藩廳要路の大半も藩主父子に隨ひ、選鋒隊士, と共に山口を發して萩に赴き、, 心事御憐恕被下成候樣奉願候。忠正公一代編年史), 忠正公一代編年史), 岐, 岐造, 讚, の自〓, 麻田公輕, 藩主父子, 郎の屏居, 清水清太, 萩に赴く, 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役, 一七〇

割注

  • 岐造

頭注

  • の自〓
  • 麻田公輕
  • 藩主父子
  • 郎の屏居
  • 清水清太
  • 萩に赴く

  • 第十三編禁門の變及び第一囘征長の役

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  • 一七〇

注記 (28)

  • 1593,592,70,2290屏居してゐた。藩廳は藩内動搖の時に當り、其の起用を計り、追討使應接の重責
  • 420,590,59,1215して屏居し、保守派は盆〻跋扈するに至つた。
  • 1474,597,68,2277を依囑したが、公輔は病んで任に鷹る事能はず、且つは保守派の勢威の熾となる
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