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第二節土藝二藩の大政奉還建白, を此の地に留め、四日京都に到著した。曩に象二郎の上京に際しては、藩兵二大, しく、已むなく解纜の期を延ばし、九月朔日浦戸を出航、翌二日大坂に著し、榮三郎, に命じて大政奉還建白書案を起稿せしめ、之を後藤象二, 郎に託し京都に齎しめんとした。因つて同月二十五日象二郎は寺村左膳・眞邊, 慶應三年八月二十日土州藩論が大政奉還建白に一決するや、前藩主山内豐信, 榮三郎と共に急ぎ高知を發し、浦戸より乘船せんとしたが、折惡しく海上風浪激, 隊を伴ふべしとの議があつたが、豐信は之を斥けて曰く、此の如き未曾有の大事, を建白するには、宜しく至誠を以て幕府に對すべく、毫も兵力を以て之を劫すの, 一山内豐信の建議, の建白書を以て、時局の匡救を圖らうとする計畫は、前途頗る困難なるものがあ, るに至つたのである。, は同藩儒者松岡七助, 軒, 数, 郎再上京, 後藤象一二, 第十七編大政奉還, 七二八
割注
- 軒
- 数
頭注
- 郎再上京
- 後藤象一二
柱
- 第十七編大政奉還
ノンブル
- 七二八
注記 (19)
- 1374,919,76,1185第二節土藝二藩の大政奉還建白
- 444,566,78,2279を此の地に留め、四日京都に到著した。曩に象二郎の上京に際しては、藩兵二大
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- 1026,640,83,2213慶應三年八月二十日土州藩論が大政奉還建白に一決するや、前藩主山内豐信
- 676,564,80,2283榮三郎と共に急ぎ高知を發し、浦戸より乘船せんとしたが、折惡しく海上風浪激
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