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望んで皇威の赫耀たるに畏服したのである。, には澤宣嘉, 藩に對しては松山, を出發し、二月朔日早くも大垣に著陣した。官軍の向ふ所、諸藩は孰れも風を, 同副總督に任じ、東海道鎭撫總督の軍と呼應して、江戸に進撃せしめられた。, 更に中國・四國方面に就いては、十一日藝州藩に對しては福山藩の討伐を、備前, を率ゐて京都を發し、途次北陸の諸藩を徇へながら江戸を志した。翌二十一, を命ぜられた。次いで十三日には四條隆謌を中國四國追討總督に任ぜられ, 日岩倉具定・同具經も亦大垣藩兵を先鋒となし、尾州・土州二藩兵を隨へて京都, たが、山陽道・四國の諸藩は、日ならずして王師に服するに至つた。尚二十五日, 藩の討伐を、又土州藩に對しては松山, を九州鎭撫總督に任ぜられたのである。, 斯くの如くして、鳥羽・伏見の戰後幾許もなく、畿内・西國地方は全く靜謐に歸, したが、關東・東北地方の情勢は未だ俄に樂觀を許さざるものがあつた。是に, を同副總督に、從三位高倉永祐を北陸道鎭撫總督に、從五位下四條隆平を, 既にして正月二十日高倉永祐・四條隆平は小濱藩兵を先鋒となし、藝州藩兵, ・高松二藩の討伐, 八千, 與, 備, 豫, 參, 中, 伊, 磨, 〓督, 親征の詔, 陸道鎭撫, 第二章江戸開城第一節徳川慶喜追討令と諸道官軍の進發, 一六九
割注
- 八千
- 與
- 備
- 豫
- 參
- 中
- 伊
- 磨
頭注
- 〓督
- 親征の詔
- 陸道鎭撫
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- 第二章江戸開城第一節徳川慶喜追討令と諸道官軍の進發
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- 一六九
注記 (30)
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