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天覽に供し奉つた。, 給うたのである。, られるや、供奉の伊達宗城は路傍の水田より稻穗五莖を拔き採り、之を上熟・中, 後、板輿に移御し給ひ、逢坂山を越えさせられ、一路東海道を關東の地に進ませ, 熟・下熟の三等に分ち、別に水害に依る不實の穗一莖を加へ、和歌一首を添へて, 州・土州・備前・大洲・水口・新谷の六藩兵は鹵簿の前後を警衞し、供奉の總數は凡そ, 翌二十二日天皇石部驛を發し給ふや、近傍の妙感寺, 二千三百人に及んだ。斯くて天皇は粟田口の青蓮院に御少憩あらせられた, 内豐積等は、孰れも衣冠・狩衣、或は直垂に威儀を正して、鳳〓の前後に扈從し、長, かり穗の稻のとり實すくなき, 江路の田圃、稻穗は正に豐熟の好季節である。車駕石部驛近傍を通御あらせ, 君見ませ五月の雨のふりすきて, 九月二十一日車駕は大津驛を發御、勢田の大橋を渡らせ給へば、滿目これ近, 戸準一郎・同大木民平及び大洲藩主加藤泰秋・鹿奴藩主池田徳澄・土州藩支族山, が後醍醐天皇, 近江國甲賀, 郡三雲村, 忠臣御追, 稻穗叡覽, 蠶, 第二十編新政の基礎, 四五二
割注
- 近江國甲賀
- 郡三雲村
頭注
- 忠臣御追
- 稻穗叡覽
- 蠶
柱
- 第二十編新政の基礎
ノンブル
- 四五二
注記 (22)
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