『維新史』 維新史 5 p.694

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決意を爲さしめるに至つたのである。, 松下源太左衞門の二男にして、後家老河合寸翁, 績も擧がらざれば、宜しく藩の名稱を廢して府・縣と改められたき旨を請うた。, 鋭意藩政の改革に盡力し、遂に版籍返上の議を建てて藩主忠邦に建言し、其の, 朝廷に於かせられては、忠邦の建議書の趣旨が明確でなかつた爲に、更に詳細, 文久の間、京都に上つて國事に奔走し、後嫌疑を蒙つて再び幽閉せられた。王, 明治元年十一月、酒井忠邦は書を朝廷に上り、府・藩・縣三治制にては藩治の政, 食んだ。夙に藩校仁壽山黌に學び、頼山陽の感化を承けて、尊王の志厚く、天保, に上申するやう命ぜられた。仍つて忠邦は翌月再び書を上り、各藩によつて, 政復古の後、朝命を奉じて京都に入り、姫路藩政の改革を命ぜられたので、爾來, 十二年幕府の忌諱に觸れて屏居すること六年、嘉永六年には退隱したが、萬延・, 一に家老河合屏山の奔走の結果といふべきである。屏山、名は良翰、姫路藩士, の家督を繼ぎ、祿五千石を, れたのみで、養子忠邦が襲封し、姫路藩十五萬石は纔かに事なきを得た。これ, 主酒井忠惇, は朝廷に對し飜然恭順の誠を致したので、忠惇は蟄居を命ぜら, 隼之助, 道臣, 樂, 雅, の襲封, の奔走, 第二囘建, 忠邦の第, 一囘建白, 河合屏山, 酒井忠邦, 白, 第二章版籍奉還第一節封土返上の議, 六九七

割注

  • 隼之助
  • 道臣

頭注

  • の襲封
  • の奔走
  • 第二囘建
  • 忠邦の第
  • 一囘建白
  • 河合屏山
  • 酒井忠邦

  • 第二章版籍奉還第一節封土返上の議

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  • 六九七

注記 (30)

  • 810,535,58,1136決意を爲さしめるに至つたのである。
  • 1494,532,67,1405松下源太左衞門の二男にして、後家老河合寸翁
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