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るに至つたのである。, 都に滯在中の内閣顧問木戸孝允は〓如病に臥し、聖駕親臨、慰問の勅語を下し, 來薩摩潟入水・南島流謫の數奇な運命を繰返したが、意聊かも屈せずして、尊王, 討幕運動に盡烙し、王政復古の大業成るや、賞典祿二千石を賜り、三條實美・岩倉, ては、深く震悼あらせられ、中興の偉勳を賞して正二位を贈り、金幣五千圓を下, 痛恨事と云はざるを得ない。加之、戰塵未だ收まらざる時、聖駕に扈從して京, 賜うたが、竟に五月二十六日を以て薨去した。齡四十五。天皇に於かせられ, 四十九。天皇に於かせられては、右大臣・正二位を贈り、金幣五千圓を下し賜う, 具視が共に五千石を賜つたのを除いては、幾多の功臣中、隆盛に及ぶ者はなか, 朝の途次、麹町清水谷に於いて、兇徒島田一郎に襲撃せられて仆れた。齡時に, 惟ふに、西郷隆盛は絶倫の膽略を懷いて、安政の末年早くも國事に奔走し、爾, つた。一朝賊名を負うて故山に僵る。又時運の然らしむる所とは云へ、一大, し賜うた。越えて翌十一年五月十四日には、參議兼内務卿大久保利通も亦參, 或は戰死し、或は自刀した。前後八〓月に亙れる西南の役は、茲に漸く平定す, 木戸孝允, 大久保利, の薨去と, 通の遭難, 第四章廢藩置縣直後の政局第一節政府基礎の強化, 八〇一
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- 木戸孝允
- 大久保利
- の薨去と
- 通の遭難
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- 第四章廢藩置縣直後の政局第一節政府基礎の強化
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- 八〇一
注記 (20)
- 1725,541,57,627るに至つたのである。
- 887,534,75,2326都に滯在中の内閣顧問木戸孝允は〓如病に臥し、聖駕親臨、慰問の勅語を下し
- 1480,538,71,2322來薩摩潟入水・南島流謫の數奇な運命を繰返したが、意聊かも屈せずして、尊王
- 1356,530,77,2331討幕運動に盡烙し、王政復古の大業成るや、賞典祿二千石を賜り、三條實美・岩倉
- 659,539,76,2322ては、深く震悼あらせられ、中興の偉勳を賞して正二位を贈り、金幣五千圓を下
- 1002,533,74,2326痛恨事と云はざるを得ない。加之、戰塵未だ收まらざる時、聖駕に扈從して京
- 773,535,75,2321賜うたが、竟に五月二十六日を以て薨去した。齡四十五。天皇に於かせられ
- 316,542,72,2319四十九。天皇に於かせられては、右大臣・正二位を贈り、金幣五千圓を下し賜う
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- 430,537,76,2323朝の途次、麹町清水谷に於いて、兇徒島田一郎に襲撃せられて仆れた。齡時に
- 1603,605,70,2253惟ふに、西郷隆盛は絶倫の膽略を懷いて、安政の末年早くも國事に奔走し、爾
- 1120,539,74,2323つた。一朝賊名を負うて故山に僵る。又時運の然らしむる所とは云へ、一大
- 544,539,76,2322し賜うた。越えて翌十一年五月十四日には、參議兼内務卿大久保利通も亦參
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