『保古飛呂比』 保古飛呂比 2 元治1年~慶応3年 p.310

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みたり、依つて、後藤〓次郎も困卻の場合を見て、長崎にて商船等相求め、大に交易を開き、國, 共、目的も無く商館等新築し、夫れが爲にはすへて盡力せず、不平而已相唱へ、御用金等も差泥, 等も、聊か智識ある者は、孰れも勤王論なれば、勤王の爲めに候得ば、いか程も出金を周旋すれ, 府より重役を出せとの命に依るといふ、夫より薩長の戰爭報知二樣に來る、勤王方は、幕兵日に, 助長家増加し、機會を得て發するの景況なり、如此なれば、藩政の下吏等は、藩政に反對の者多, 長崎行を殊の外惡敷申したる由、右の如く政府も進退谷りたるにぞ、小鑑察中山左衞士は頗る才, び、同二寅年三月頃、廣島表へ執政福岡宮内、大監察神山左多衞出張す、是れは出兵に非ず、幕, 數あれば、何分手足十分の働きを成さず、板垣退助は、大監察を辭し、馬術修行として江戸に遊, 然れども、佐幕家は、全勝の勢ありて、勤王家は、殆んど衰亡の如くなれども、其裏面には盆々, 利を起すを口實とし、同七月末頃出足せり、依つて後藤の同志輩にても、福岡藤次抔は、後藤の, 敗らると、佐幕方よりは、今にも長州討滅せりと、右の如く報知ある毎に、相互に吾が信ずる説, 婦人迄も黨派あるに至る、然れども、藩政府, 同年六月、吾輩郡奉行退役と相成候頃より、盆財政差泥みたり、其譯は、民間には、庄屋・名主, に死を給ひ、小南氏等數人、終身錮せらる、將軍上坂すれ共、因循して未だ征長の兵を出さず、, を主張し、親戚も遂に疎遠となり、, 未だ十分目を醒まさず、, なるも疎遠となる、, 目分も、某々家親戚, 卷十五〓應二年, 三一三

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  • なるも疎遠となる、
  • 目分も、某々家親戚

  • 卷十五〓應二年

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  • 三一三

注記 (20)

  • 496,566,61,2320みたり、依つて、後藤〓次郎も困卻の場合を見て、長崎にて商船等相求め、大に交易を開き、國
  • 607,563,60,2325共、目的も無く商館等新築し、夫れが爲にはすへて盡力せず、不平而已相唱へ、御用金等も差泥
  • 717,562,59,2322等も、聊か智識ある者は、孰れも勤王論なれば、勤王の爲めに候得ば、いか程も出金を周旋すれ
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  • 1603,567,57,2321助長家増加し、機會を得て發するの景況なり、如此なれば、藩政の下吏等は、藩政に反對の者多
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