『保古飛呂比』 保古飛呂比 2 元治1年~慶応3年 p.319

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一同五日、快晴、朝倉を發し、戸波村森團左衞門方ぬ宿す、, と答へたり、, 太宰府へ同行左の通、, 一九月六日、晴、戸波を發し、須崎浦より乘船、久禮浦に宿す、, いか樣にても宜敷、吾が素志達すれはよし、若し政府の爲めに同志輩を落入るゝ策にて、四五人の者, 但須崎にて、醫師岡村斧吉等勤王家に出會、岡村より道中用意藥を送らる, ては種々風聞あり、勤王家は、佐幕家に降參して探索に出ると、或は佐々木も心底分らずと、或は中, 朝倉村へ止宿す、是れは、友人等に尚又相談もある故也、是迄送り來り候友人の中、此度太宰府に就, 一荒倉山にて栗實ヒカ錢五拾文, 共十分注意すれば、他には及ばず、自分共落入りたる後は、愈同志の志も相立ち、他日の爲めならん, 山等の奸計にて、勤王家を落入るゝなり、政府其議論纒らぬ故に、勤王家の機嫌取るなりと、自分を, 毛利恭助・島村壽太郎・藤本潤七・佐井虎次郎・中山左衞士, 一高岡村にて兩掛ハク代壹匁四分五厘, 六匁六分油紙方一貳匁六分七厘肴代, 内金三朱拂, 四匁八分過上, 卷十五慶應二年, 三二二

  • 卷十五慶應二年

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  • 三二二

注記 (18)

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