『日本関係海外史料』 オランダ商館長日記 25 訳10 1646年09月-1647年09月 p.21

Loading…

要素

割注頭注ノンブル

OCR テキスト

て出発した。そして、知事三郎左衛門殿は我々に、船は望み次第に〔いつでも〕送り出してよ, い、と伝えさせた。正午近く、米四〇〇俵及び小麦四〇〇俵等の輸出の許可を受け取った。そ, ことを知らせる機会がなかったので、従って目的を達しないで帰って来た。, 場所で我々の取引を認め、初めてすべてを打ち明けるつもりであった。そのためには、〔デ・, 同月十二日晴れて快適な天気。北の風。夜明けとともに知事権八殿は宮廷へと上に向かっ, 役に立つように持って行くことになるだろう、それらすべては、ほんのわずかしか或いは全く, 遅滞なく、実行に移されようとしている。より詳しくは、決議〔録〕に見ることができる。, フロートとミユーレナールが〕いくらかのヨーロッパ産その他の商品をまず〔取引の〕初めに, 一杯になってしまい、その結果多数の人民により、これまでのように我々の好きなように土地, 午後、通詞たちを、米と小麦の輸出を願うために、知事たちの邸に送ったが、閣下方にその, へと針路をとることに固執したからで、もしそうなったら〔南京人は〕ヌンプーの最も適当な, を強力に占有し続けることは恐らくできなくなるであろう、と噂されたからである。, が〔行くことに, 決められた〕、何故なら、南京のジヤンク船が、海上で互いに連絡し、彼等, とともに南京, と同ディルク・ミユーレナール, また、下級商務員ヤデフロート」, ○一六四八年及び一六四九年の, 商館長日記にも名前が見える, 履歴については本書訳文編, 之八(上)一八四頁参看, nelissen de groot。一六四四年八月にスヒップ船ズワーン号で来日。, ○ヤンjan或いはヨハン・コルネリッセン・デフロートjohancor, ○中国, 人, 派遣を決定, 南京船への, 米と小麦の, 輸出許可を, 崎を発つ, 奉行山崎長, レナールの, 嘆願, 出を許す, 船の出発と, 奉行馬場蘭, 米小麦の輸, トとミユー, デ・フロー, 一六四六年十一月長崎にて, 二一

割注

  • ○一六四八年及び一六四九年の
  • 商館長日記にも名前が見える
  • 履歴については本書訳文編
  • 之八(上)一八四頁参看
  • nelissen de groot。一六四四年八月にスヒップ船ズワーン号で来日。
  • ○ヤンjan或いはヨハン・コルネリッセン・デフロートjohancor
  • ○中国

頭注

  • 派遣を決定
  • 南京船への
  • 米と小麦の
  • 輸出許可を
  • 崎を発つ
  • 奉行山崎長
  • レナールの
  • 嘆願
  • 出を許す
  • 船の出発と
  • 奉行馬場蘭
  • 米小麦の輸
  • トとミユー
  • デ・フロー

  • 一六四六年十一月長崎にて

ノンブル

  • 二一

注記 (41)

  • 493,623,63,2297て出発した。そして、知事三郎左衛門殿は我々に、船は望み次第に〔いつでも〕送り出してよ
  • 389,625,66,2290い、と伝えさせた。正午近く、米四〇〇俵及び小麦四〇〇俵等の輸出の許可を受け取った。そ
  • 699,619,63,1829ことを知らせる機会がなかったので、従って目的を達しないで帰って来た。
  • 1213,610,71,2285場所で我々の取引を認め、初めてすべてを打ち明けるつもりであった。そのためには、〔デ・
  • 594,663,66,2245同月十二日晴れて快適な天気。北の風。夜明けとともに知事権八殿は宮廷へと上に向かっ
  • 1004,609,69,2303役に立つように持って行くことになるだろう、それらすべては、ほんのわずかしか或いは全く
  • 902,612,66,2214遅滞なく、実行に移されようとしている。より詳しくは、決議〔録〕に見ることができる。
  • 1113,614,65,2300フロートとミユーレナールが〕いくらかのヨーロッパ産その他の商品をまず〔取引の〕初めに
  • 1836,632,66,2274一杯になってしまい、その結果多数の人民により、これまでのように我々の好きなように土地
  • 799,660,66,2251午後、通詞たちを、米と小麦の輸出を願うために、知事たちの邸に送ったが、閣下方にその
  • 1320,620,68,2289へと針路をとることに固執したからで、もしそうなったら〔南京人は〕ヌンプーの最も適当な
  • 1733,607,64,2048を強力に占有し続けることは恐らくできなくなるであろう、と噂されたからである。
  • 1539,2525,53,378が〔行くことに
  • 1423,616,71,1865決められた〕、何故なら、南京のジヤンク船が、海上で互いに連絡し、彼等
  • 1442,2590,46,317とともに南京
  • 1527,1130,66,773と同ディルク・ミユーレナール
  • 1629,656,78,970また、下級商務員ヤデフロート」
  • 1563,1919,43,592○一六四八年及び一六四九年の
  • 1519,1913,43,564商館長日記にも名前が見える
  • 1553,608,43,516履歴については本書訳文編
  • 1509,609,42,481之八(上)一八四頁参看
  • 1623,1622,46,1277nelissen de groot。一六四四年八月にスヒップ船ズワーン号で来日。
  • 1662,1622,51,1288○ヤンjan或いはヨハン・コルネリッセン・デフロートjohancor
  • 1464,2451,39,126○中国
  • 1425,2443,39,59
  • 1448,347,41,209派遣を決定
  • 1495,348,40,204南京船への
  • 808,350,42,206米と小麦の
  • 760,349,41,210輸出許可を
  • 582,353,41,161崎を発つ
  • 630,351,41,208奉行山崎長
  • 1545,351,38,200レナールの
  • 713,353,39,77嘆願
  • 385,352,40,165出を許す
  • 479,352,44,207船の出発と
  • 527,353,41,209奉行馬場蘭
  • 433,351,41,211米小麦の輸
  • 1597,347,31,205トとミユー
  • 1641,345,37,210デ・フロー
  • 299,853,42,536一六四六年十一月長崎にて
  • 311,2618,42,63二一

類似アイテム