『大日本史料』 1編 2 寛平 4年正月~延喜元年10月 p.256

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るれは、今さらに論ふへくもあらす、, されと、公のみつから忝加寺官と、いかてか書せ給ふへき、又爰則稱云々と, るは拙し、さて此縁起總ての文の拙さいはむかたなきを、一目見ても知ら, は、此寺の小僧の請によりて、其縁起を文に作り給へる由にて、奧に執筆云, ぬ御名を、首尾二處に御名をさへに記給ふへくもあらす、又その二處とも, 々と官位姓名を記給へるものとせり、大安寺の別當の判署にすら書給は, 言とある人の寺別當になさるるは、そのかみの例なれは論ふへくもあら, 大安寺そのほか舊き寺々の公家に上る縁起に、某寺縁起と書て、縁起文と, いへるはあらす、官符なとにも、みな縁起と云へる例なり、文の字を加へた, に菅字を管と書り、公いかてみつからの姓字を、さは書訛り給ふへき、, 文の首に、吾云々と位署姓名云々と、辱くも書出せるは、あまりに拙し、中納, 吾遣唐大使、略忝加寺官附大安寺、因依小僧之請、攀入長谷靈寺、爰則稱云, 々、, 天武天皇、更勅弘福寺道明聖人、建精舍於此矣、彼金銅佛像下、有天皇御筆, 長谷寺縁起文, 訛ル, 菅ヲ管ト, 寛平七年八月五日, 二五六

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注記 (19)

  • 1316,654,57,1085るれは、今さらに論ふへくもあらす、
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