『大日本史料』 1編 2 寛平 4年正月~延喜元年10月 p.259

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に、虚言謾言をもてつけて、此縁起文を作れるものなり、, 人のいみしき筆のあとの、久しくとゝまれるはめてたきをこれまことに, ありて、公家にも上り、寺家にも其案の在つらむを、故ありて失ひたるによ, 日本紀略に、天慶七年正月九日、壬午、夜半風雨、大和國豐山寺, 例として、佛の靈驗なとを奇怪しく説ひなせる事こそはあれ、尋常の事實, 聖人は、これも道明なり、相共とは徳道となり、いと拙くきこえかたき書さ, まなり、さて此神龜の時の事は、上文に房前臣奏元正天皇云々といへる時, に、さはかり妄説せるはをさ〳〵見えす、長谷寺にも然る例さまの縁起書, 既に論ひ辨へたるかことし、そもそも舊き寺々の縁起書を見るに、僧徒の, りて、年經て後もの知らぬえせ法師のありて、いささか聞傳たる縁起の趣, の事をいへるにて、これはた塔銘、また長期か申牒に違へり、妄説なること, 悉燒亡、驗佛同燒失、建立之後二百廿四年とみえたるときに、縁起も燒亡せ, たりしなるへし、, 聖人受命神龜元年, そもそも此縁起文は、僞説とはいへと、しかすかに古, さるは, 堂舍皆, 相共近行佛所、而見常人也, ○中, 續日本紀に、稱徳天, 二年十月夷申、幸長谷寺捨田十町とみえたり、縁起にはかゝる事た, 呈の御世、神護景雲, はもはら記せる例なるに、此事をたに知らて記さゝりつるなり、, 注に長, 谷寺也, 略, 略, 中, 寛平七年八月五日, 二五九

割注

  • ○中
  • 續日本紀に、稱徳天
  • 二年十月夷申、幸長谷寺捨田十町とみえたり、縁起にはかゝる事た
  • 呈の御世、神護景雲
  • はもはら記せる例なるに、此事をたに知らて記さゝりつるなり、
  • 注に長
  • 谷寺也

  • 寛平七年八月五日

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  • 二五九

注記 (30)

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