『大日本史料』 1編 2 寛平 4年正月~延喜元年10月 p.839

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號す、, 此郡を司とりし時、諸木を植させけるより茂山となれり、頂に天神の社有, に其老女を木像に安置し、老夫はからめたる形勢に造りて、此堂に置侍る, 給ひて、宰府に著せ給ひける時、麹商の家に立入給ひけるに、其麹商の妻、い, も三間四面也、釋迦多寳二佛を安置す、世に云傳へ侍るは、菅公左遷せさせ, 老妻をは、菅神いとおしき物に思召給ひ、夫をば宜しからす思ひ給ふ故、後, のかたはら浮殿に御入、翌日廿四日の戌の時、元の御殿に返し入奉る、此寺, るを聞て書付侍る, みしく思へる氣色にてもてなし奉る、其夫は〓りて敬はさりける故に、其, て懸させ玉ひし石とて今に有、故に其側に小き社を作りて、衣掛の天神と, 天判山武藏村の上に有、此山初は木なかりしか、長政公の臣小河内藏丞「, の中に有、菅公宰府に赴き給ハんとて、此所にて衣服を改め、其なれ衣を〓, 由云き、此二像今はなし、此俗説信するにたらすといへ共、しはらく人の語, 宇殘と、八月廿三日、天神の御輿此所にわたらせ參らせ、天滿宮の石の鳥居, 〔筑前國續風土記〕, 衣掛天神國分村の境内水城町の南成田, 〔筑前國續風土記〕御笠郡下衣掛天神國分村の境内水城町の南成田, 御笠郡下, トノ説, ニ掛クル, 天判山, 〓衣ヲ石, 延喜元年正月二十五日, 八三九

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  • 御笠郡下

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  • トノ説
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  • 天判山
  • 〓衣ヲ石

  • 延喜元年正月二十五日

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  • 八三九

注記 (24)

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