『大日本史料』 1編 7 承平 6年正月~天慶4年8月 p.127

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萬石ホトナレト、實ハ十萬石モアリトソ、, 飯沼飯沼ハ、和名抄ノ飯瀦、, ぬけしきの嶋なりけんとぞおもひやらるゝ、今此野中を行道をがうしう, と名づけしよしは、このくにのものともおもはれず、けしきのいとおもし, てぬきに上道一里あまりの廣野也、むかし淡海のめぐれる時は、えもいは, にて、辛嶋の廣江といへるも、此めぐりの田となれりし所をさせる也、辛嶋, テ、古ヘヨリ有名ノ大湖ナリ、上ハ〓嶋郡仁連町ヨリ、下ハ岡田郡横曾根村, 海道とよべり、そも〳〵がうしうといふ名、何とも心得がたきを、よくおも, へは、將門記、今昔物語などに、辛嶋と見えしを、がうしうとはよひなまれる, ニ至リ、長凡七里許、横凡一里許、〓嶋、岡田、結城三郡二十四ケ村入會ヘリ、水, ヨリ、僅ニ一條水トナレリ、中間猶一小湖ヲトヽメタリ、土人云、コノ開墾三, 源ハ下野國宇都宮邊ヨリ出、沿路數ケ村ノ餘水ヲ容レ、渺々タル沼澤ニテ、, ろくて、唐國の嶋ともいひつべきさまなればにや、または大和國の輕嶋と, 落口ハ岡田ノ坂手ヨリ、鬼怒川ヘ入リシナリ、然ルニ寛文年中、開墾ナリシ, 大須本將門記ノ辛嶋廣江ニ, がうしうが原といへるは、田中の離嶋にて、た, 〔相馬日記〕三廿四日, 〔相馬日記〕三廿四日〓中がうしうが原といへるは、田中の離嶋にて、た, 條ニ、詳ニ見ユ、, 岡田郡飯猪郷ノ, ○中, 略, ハがうし, 辛嶋廣江, うが原ナ, 辛嶋廣江, リトノ説, 承平七年八月六日, 一二七

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  • 條ニ、詳ニ見ユ、
  • 岡田郡飯猪郷ノ
  • ○中

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  • ハがうし
  • 辛嶋廣江
  • うが原ナ
  • リトノ説

  • 承平七年八月六日

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  • 一二七

注記 (29)

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