『大日本史料』 2編 10 長和5年3月~7月 p.259

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

答云、右、, と、清愼公母は亭子院の御女なり、藏人少將ならひに頭中將へたる事、女御入内のこ, へからん、, をや准すへからん、致仕おほくして、おもひよそへらるゝ人さためて侍らんと覺ゆれ, これなすらへて朱雀院の論議におなしきか、, 准すへきに、清愼公は天祿元年五月に攝政にて薨すと見えたれは、此儀相違す、かれ, とも、問につきて致仕をいたし侍り、醍醐天皇の御時の致仕良世なり、かれとやいふ, る、西宮左大臣と相ならふことも、源氏によそへらるゝか、たゝし致仕のことむねと, と、紅梅の右府廉義公なと昇進おなしきこと、辨の少將・右大辨をへて丞相の位にのほ, の春かとよ、明王の御代四代といへるも、貞信公のおもかけあり、そのうへ、母宮腹のこ, 六條院にをきて准據の人おほし、致仕のおとゝたれの人になすらへたるそや、, 致仕のこと、准據の例ひとへにさためかたし、但光源氏を高明に准せは、其時の致仕, 左申、まことにこの事致仕をむねとすへし、おほかたは清愼公相似たる事おほく侍る, にや、貞信公の子清愼公なり、致仕のおとゝも大政大臣の子と見えたり、かの花の宴, 爲方, 答云、右、爲方, 長和五年四月二十九日, 二五九

  • 長和五年四月二十九日

ノンブル

  • 二五九

注記 (18)

  • 1773,604,59,228答云、右、
  • 774,608,63,2158と、清愼公母は亭子院の御女なり、藏人少將ならひに頭中將へたる事、女御入内のこ
  • 1277,620,53,233へからん、
  • 1529,609,66,2161をや准すへからん、致仕おほくして、おもひよそへらるゝ人さためて侍らんと覺ゆれ
  • 275,615,58,1093これなすらへて朱雀院の論議におなしきか、
  • 399,608,61,2166准すへきに、清愼公は天祿元年五月に攝政にて薨すと見えたれは、此儀相違す、かれ
  • 1401,611,65,2150とも、問につきて致仕をいたし侍り、醍醐天皇の御時の致仕良世なり、かれとやいふ
  • 522,613,61,2160る、西宮左大臣と相ならふことも、源氏によそへらるゝか、たゝし致仕のことむねと
  • 645,611,63,2160と、紅梅の右府廉義公なと昇進おなしきこと、辨の少將・右大辨をへて丞相の位にのほ
  • 899,617,62,2151の春かとよ、明王の御代四代といへるも、貞信公のおもかけあり、そのうへ、母宮腹のこ
  • 1904,606,67,1953六條院にをきて准據の人おほし、致仕のおとゝたれの人になすらへたるそや、
  • 1650,605,68,2165致仕のこと、准據の例ひとへにさためかたし、但光源氏を高明に准せは、其時の致仕
  • 1148,602,62,2167左申、まことにこの事致仕をむねとすへし、おほかたは清愼公相似たる事おほく侍る
  • 1023,617,62,2152にや、貞信公の子清愼公なり、致仕のおとゝも大政大臣の子と見えたり、かの花の宴
  • 1784,1922,55,101爲方
  • 1774,607,64,1418答云、右、爲方
  • 174,723,45,423長和五年四月二十九日
  • 180,2366,42,122二五九

類似アイテム