『大日本史料』 4編 1 文治元年11月~3年8月 p.501

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みく〓ともなりたりせは、今日かゝるうきめにはあはし物をと、思はぬ事, 詣空しく成ぬ、あはれ西國の戰場に軍破て、人々海に入給し時、同しく底の, はこひ、年月を經るに、又是をしらず、平家の侍被討漏たる、越中次郎兵衞盛, るにも、はたしにて、清水寺へ、千日毎日參詣すへき、心さし深くして、歩みを, たしらぬ東路に、千行の〓をのこひ、曉月に袂をうるほして、我清水寺の靈, 手觀音を造立し奉り、清水寺の本尊の右脇に居奉りけり、盛久ふるにもて, しほれたるに、はたしにて、盛久詣けるをめし捕て、兵衞佐殿へ奉る、盛久ま, か、彼人は清水寺へ、夜毎に詣給ふ也とそ申たる、北條悦て、いかなる在樣に, て候也と申けれは、清水寺邊に人をおき、うかゝひ見するに、或時白直垂の, は、京都に隱居たるよしきこえけれは、北條、京中を尋もとめけれとも、更に, 次、惡七兵衞景清、主馬八郎左衞門尉盛久、これらはむねとの者とも也、尋出, すへきよし兵衞佐殿、北條四郎時政に被仰含けり、主馬八郎左衞門尉盛久, て詣つるそととふ、白直垂著給て、物もはき給はす、はたしにて詣つる人に, 場に、千日參詣の心さしを運ひ、多年本尊に祈奉、信心の誠を〓しつるに、日, 尋得す、ある時下女來て、まことや主馬八郎左衞門尉を御尋さふらぬなる, 北條時政, 盛久ヲ捕, ヘテ鎌倉, ニ致ス, 文治二年七月二十五日, 五〇一

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  • 北條時政
  • 盛久ヲ捕
  • ヘテ鎌倉
  • ニ致ス

  • 文治二年七月二十五日

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  • 五〇一

注記 (21)

  • 297,754,54,2030みく〓ともなりたりせは、今日かゝるうきめにはあはし物をと、思はぬ事
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