『大日本史料』 4編 2 文治3年9月~建久元年1月 p.91

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成か、手に之障れは、てうの如く手に付くとなん、太刀は貳尺計り、鍔もかう, たり、柄頭き引とほしなりと云、錆付てぬけすと語りし、奇恠の物語りれり、, 曰、此説當有取捨、思有西京雜記、酉陽雜爼、輟耕録等類之事、則奇怪亦不忍, 慕ひ行て見たる迚、茂卿が幼き時語りき、枕き常の繰り枕也、房迄にも深紅, のなりにて、三枚つば也、柄きしんくの糸にて卷て、中ひし也、鮫に錦を著せ, 基衡秀衡三代の死骸、棺に納めて、佛檀の下なる板敷の上に置り、しかるに, へり、内外金箔を押して、其光甚しをか故に、俗に光堂とはいへり、内に清衡, 星霜を歴る事久しく、板敷朽損するに依て、仙臺へ其趣を達し、元祿十二年, 徳にや、側に泉三郎が棺、是きしたゝかなる晒頭一ツ有けるとぞ、秀衡が棺, 十左衞門き馬をよく乘たれは、夫を習ふ迚、若藤杢左衞門といふ人、奧州迄, の内より、枕一ツ、太刀一振出し置て、國主の者共が、十左衞門に見せたる也、, 陸奧の國磐井郡中尊寺村、天台宗關山中尊寺光堂は、東鑑には金色堂とい, ひたり、稗穀乃樣成物にて、棺を詰たり、五百年計り成に、形乃不損は、此者乃, 捨之、故今載而以助同志之談柄矣、, 友直嘗得此一册於俗間、而後問虚實於關山僧某、某, 〔平泉雜記〕, 〔平泉雜記〕〓堂物語友直嘗得此一册於俗間、而後問虚實於關山僧某、某, 光堂物語, 三, 元祿中復, 發ク, 文治三年十月二十九日, 九一, 文治三年十月二十九日

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  • 光堂物語

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  • 元祿中復
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  • 文治三年十月二十九日

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  • 九一
  • 文治三年十月二十九日

注記 (24)

  • 1294,630,58,2220成か、手に之障れは、てうの如く手に付くとなん、太刀は貳尺計り、鍔もかう
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