『大日本史料』 4編 3 建久元年1月~3年2月 p.833

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足引の影像と稱す、また或時、栂尾高山寺に於て、春日、住吉兩神の尊容を親, すれば、やゝ劣れり、元久二年、月輪相公の命によりて、善導和尚の眞影をし, 法眼勝賀、姓は藤原、宅間氏, 天の屏風を畫かけりとなん、予親しくこの法眼の墨痕なりといへる十六, 八卷傳、及ひ翼贊、名跡志等、皆法眼と見ゆるそ是なるべき、猶、畫史、全書等、, 所なり、建久二年、東寺の兩界曼茶羅を新ニ寫せることあり、また同年、十二, 引ける九卷傳、及ひ畫史全書、江戸志等に法印とあるは信けのたし、四十, 澄字のさんすいを、艸體の言偏と思ひ僻めたるものなめり、さて翼贊に, 澄賀、勝賀と二人には載せたれど、傳文互に混雜せり、又、和漢三才圖會ニ, 傳文を混合す、されば今、是等の書の傳文の錯亂を訂正して、童蒙の爲に、, は、澄賀一人を擧て、勝賀の傳文を混せり、畫譜は、勝賀一人を擧て、澄賀の, いさゝか辨へ置くになむ、猶、爲行、并に勝賀の條對照して辨ふべし、, 阿羅漢の雙幅を見しことあり、其筆意尤壯健なり、されど爲遠、爲久等に比, かき、また同し公の命にて、法然上人の影を寫す、其影、二尊院にありて、世人, り、澄賀は勝賀の父にて、左近將監爲行の男なり、澄賀なと見ゆるは、全く, 名は勝賀、法眼に敍す、澄賀の男、繪, 建久二年十二月二十八日, 或は詫摩、又, 宅磨に作る, 勝賀, 賀ノ父, 澄賀ハ勝, 晝風, 建久二年十二月二十八日, 八三三

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  • 或は詫摩、又
  • 宅磨に作る

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  • 勝賀
  • 賀ノ父
  • 澄賀ハ勝
  • 晝風

  • 建久二年十二月二十八日

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  • 八三三

注記 (25)

  • 215,649,70,2204足引の影像と稱す、また或時、栂尾高山寺に於て、春日、住吉兩神の尊容を親
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