『大日本史料』 4編 4 建久3年3月~6年8月 p.29

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成て、御身つから筆をさゝけて、御眼をひらきたまひしは、彼天平乃ためし, れ、されとも鎌倉の右大將、ほとなく世をし〓めく、中興の政を申行れしか, は、文治建久の政道とて、いみしをためしには申あひ侍り、されは此法皇、五, なはせ給ひけるこにかたしけなけれ、又千僧の内にも、戒臈にまろせて、そ, 聞によりて、一身阿闍梨になら勢給ふ、例なを事と婆うけ給る、承安の頃か, をおほしめしてなり、すへて御一期の間の御練行、しるしつくすへきにあ, まて、度々のみたれにあはせ給ひて、叡心をなやまされけるこそうたてた, らす、御出家のゝちは、魚肉をさへたゝせおはしまして、毎日法華の御讀誦, の座につらならせ給にることもあり、文治東大寺大佛開眼供養には御幸, をこたらせ給ふ〓なし、いかなる故にか、保元平治より壽永元暦にいたる, とよ、平相國の領福原にて、彼御祈乃ため、一壇の阿闍梨にし、法華乃法をこ, 代の父祖にて、今まて乃繼體守文の君は、みな御子孫にてりたら勢たまへ, 後白河院御時、年中行事を繪にかゝれて、御賞翫のあ, 華王院とて、三十三間の御堂をもたしられを、御得度のはしめ、覺忠僧正奏, は、佛天の加護は、ま〓にむなしからさりけりとおほえたり、, 古今著聞集, ○上, 下略、, 十一, 晝圖, 經ヲ誦シ, ノ政道, 絶チ法華, 御出家ノ, 文治建久, 年中行事, 給フ, 後羶腥ヲ, 繪, 建久三年三月十三日, 二九

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  • ○上
  • 下略、
  • 十一
  • 晝圖

頭注

  • 經ヲ誦シ
  • ノ政道
  • 絶チ法華
  • 御出家ノ
  • 文治建久
  • 年中行事
  • 給フ
  • 後羶腥ヲ

  • 建久三年三月十三日

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  • 二九

注記 (31)

  • 1301,653,62,2212成て、御身つから筆をさゝけて、御眼をひらきたまひしは、彼天平乃ためし
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