『大日本史料』 5編 12 暦仁元年10月~仁治元年8月 p.348

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

は帝位の内とも云ふ、名は賀茂茂氏と云ふ皇子にて、殊外御寵愛也、これへ, の體、絹地に粉色あさぎの袍御冠なり、中々見事なる義なり、上に色紙形に, ほどありて、技繋く、曲にして鞠けにくきと云ふ、これは今は枯たり、右の宸, 筆ども并に楓もきたいに殘りたりとて、法皇御詠歌を被下、その頃の歌人, の宸翰數通、尤松下の内室の官女にも御書あり、先は八通なり、これを二卷, 御自詠三首あり、右のものども、七月七日には朝の間ばかり虫掃、毎年二月, 應山公、烏丸光廣、通村、氏成等、各題にて楓の事などよみ入て、短册一くゝり, にかゝりに、後鳥羽院手植玉ふと云楓あり、大木にて半片は朽たれども、上, 廿二日正當忌日にて、終日出でてあり、誰なりとも拜する也、さて松下の庭, にしてあり、さて西蓮、西寂等の文一通あり、西蓮は秀能が子なり、この隱岐, への頃は西行、秀能共に、もはや發心にて老人なり、それゆゑ右の北面兩人, 入道して、隱岐へ供奉す、さて二十首御製一卷、さて宸筆自畫の影廿五六歳, のわき目は青々としてあり、その傍に、後にうゑ添たる楓あり、これも二圍, 有、希代の物どもなり、, 二十首御, 御自畫宸, 宸翰, 製, 影, 延應元年二月二十二日, 三四八, 延應元年二月二十二日

頭注

  • 二十首御
  • 御自畫宸
  • 宸翰

  • 延應元年二月二十二日

ノンブル

  • 三四八
  • 延應元年二月二十二日

注記 (22)

  • 1808,650,65,2158は帝位の内とも云ふ、名は賀茂茂氏と云ふ皇子にて、殊外御寵愛也、これへ
  • 1205,651,62,2163の體、絹地に粉色あさぎの袍御冠なり、中々見事なる義なり、上に色紙形に
  • 605,646,58,2169ほどありて、技繋く、曲にして鞠けにくきと云ふ、これは今は枯たり、右の宸
  • 485,640,59,2172筆ども并に楓もきたいに殘りたりとて、法皇御詠歌を被下、その頃の歌人
  • 1684,657,68,2160の宸翰數通、尤松下の内室の官女にも御書あり、先は八通なり、これを二卷
  • 1088,647,60,2167御自詠三首あり、右のものども、七月七日には朝の間ばかり虫掃、毎年二月
  • 364,640,61,2168應山公、烏丸光廣、通村、氏成等、各題にて楓の事などよみ入て、短册一くゝり
  • 848,651,59,2162にかゝりに、後鳥羽院手植玉ふと云楓あり、大木にて半片は朽たれども、上
  • 967,644,60,2172廿二日正當忌日にて、終日出でてあり、誰なりとも拜する也、さて松下の庭
  • 1562,658,69,2158にしてあり、さて西蓮、西寂等の文一通あり、西蓮は秀能が子なり、この隱岐
  • 1445,662,63,2157への頃は西行、秀能共に、もはや發心にて老人なり、それゆゑ右の北面兩人
  • 1323,649,65,2167入道して、隱岐へ供奉す、さて二十首御製一卷、さて宸筆自畫の影廿五六歳
  • 726,649,59,2168のわき目は青々としてあり、その傍に、後にうゑ添たる楓あり、これも二圍
  • 250,643,54,628有、希代の物どもなり、
  • 1366,297,41,166二十首御
  • 1278,294,42,169御自畫宸
  • 1699,295,41,82宸翰
  • 1325,292,41,39
  • 1236,290,40,38
  • 1937,723,45,423延應元年二月二十二日
  • 1930,2424,39,119三四八
  • 1936,723,45,423延應元年二月二十二日

類似アイテム