『大日本史料』 6編 13 貞和5年11月~観応元年11月 p.490

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おなじ物なれども、中に〓を入るゝを饅頭といふ、餾はもと獸肉また蔬菜, 今烏丸鹽瀬之祖也、一説淨因〓寺歸中華云, 瀬と改め、南都に住て、饅頭を製して賣れりとそ、云傳ふる處少は誤もある, べたれど、淨因といふもの、こゝにきて始て饅頭作りし事は、けも有べし、あ, 氏鹽瀬、始住南都製之、其形状片團、是稱奈良饅頭、是本朝饅頭之始也、於中華, なとをいるゝもの也、こゝには肉を用ひしことは聞へされとも、菜をば包, 古建仁寺第二世龍山禪師入宋、于時中華人林和靖末裔林淨因執弟子禮、斯, 其始は、建仁寺第二世龍山禪師入宋のとを、林和靖の末孫に林淨因といふ, ぢうといふことあり、さたうまんぢうは、よの常の饅頭なるへし、こゝにて, 始自諸葛孔明、曾鹽瀬淨因有數子、其内一人爲僧從龍山、則建仁寺中兩足院, 祖無等以倫是也、故到今鹽瀬一家悉爲兩足院之檀越、以倫弟某於北京造之, ものありて、禪師の弟子となれり、其後禪師歸朝する時も從ひ來て、姓を鹽, みたることはありと見えて、七十一番職人盡にさたうまんぢう、けいまん, 人於中華製造饅頭、元順宋至正元年龍山歸本朝日、林淨因相從來、在本朝改, 〔瓦〓雜考〕下まんぢう本草、蒸餅の附方には、饅頭〓とも書り、蒸餅と, 饅頭ノ始, 南朝正平五年北朝觀應元年三月十五日, 四九〇

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  • 饅頭ノ始

  • 南朝正平五年北朝觀應元年三月十五日

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  • 四九〇

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