『大日本史料』 12編 17 慶長十九年十二月~元和元年三月 p.840

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に良將乃器量に疑ひなかりしに、翌元和元年, は、早具足を着て坐して居らるゝ故、さても早く御具足を召たり、夜討は是, 面の時、饅頭に毒を入て興國公へ進らせらる、其給仕に出たる女房痛敷事, 〓思ひ、手の内ニ毒といふ字を書置て見を申故、興國公心得玉ひて食し給, りに、忠繼公此企を悟り、興國公の前なる饅頭を奪取て食せられにれは、良, んとの企ありて、備前岡山城中ニて、興國公、忠繼公列座ニて、良正院殿御對, を〓み、なき物として國清公の遺跡を悉く忠繼公、并御弟忠雄公へ進らせ, り、阿波の手え夜討有之時、安養寺内藏と云者、忠繼公の本陣へ走り行たれ, は必違て有、扨は夜〳〵人ニしらせす着しておわしますにこだと云あへ, へは參るましきと云たり、是も霄より直に着てこそ居られしならん、ま〓, 正院殿の御顏色見る内ニ赤くなり青くなり、色々に變じたりといふ、是は, 有故、近習乃者共怪しく思ひて、後には慥ニ心覺をしてためし見るに、翌朝, 岡山忠繼公龍峯寺殿御影堂, へき人也、この卒去ありし子細を其比沙汰せしは、良正院殿繼子の興國公, また陣屋にて、具足を寢間置に、明朝は必違て, 二月廿三日御逝去也、惜む, 〔吉備温故〕, ○上略、忠繼諸士ヲ慈ミシコ, トニ係ル、上ノ雨夜燈二同ジ, 四十一三, 墳墓, 卯, 乙, 忠繼ノ死, ニ武裝ヲ, テノ風説, 解カズ, 因ニツキ, 忠繼陣中, 元和元年二月二十三日, 八四〇

割注

  • ○上略、忠繼諸士ヲ慈ミシコ
  • トニ係ル、上ノ雨夜燈二同ジ
  • 四十一三
  • 墳墓

頭注

  • 忠繼ノ死
  • ニ武裝ヲ
  • テノ風説
  • 解カズ
  • 因ニツキ
  • 忠繼陣中

  • 元和元年二月二十三日

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  • 八四〇

注記 (31)

  • 965,641,56,1351に良將乃器量に疑ひなかりしに、翌元和元年
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  • 498,635,61,2226面の時、饅頭に毒を入て興國公へ進らせらる、其給仕に出たる女房痛敷事
  • 384,636,60,2226〓思ひ、手の内ニ毒といふ字を書置て見を申故、興國公心得玉ひて食し給
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