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人と見えて、此草子の下卷、此帝の吉野へうつらせ給ひし後まて、先帝とか, に、心あらん友もかな都こひしう覺ゆると有り、誠國見山の庵にて書し筆, ませし時, ゝす當代と書たり、又南朝へ奉公有し公卿の事を多擧しるし、園太暦に吉, 始終此君に心をゆたねて仕へ奉り、法師に成ぬる後まて、心を變せさりし, 野へ御加持に參りし事なともみえし、是等にて兼好の心を推量るへし、又, 正和文保の比に、後醍醐天皇のいまた坊にて、二條萬里小路の御所にまし, のすさみそおのつからみえたり、兼好其始の俗なりし時は左兵衞佐にて、, おもふに帝の吉野宮へうつらせ給ひしより間もれく、都をさけて伊賀國, 大納言師信卿なりしか、其御所御曾子に參りし事、則この草子にも見えて、, 在吉田山中春日社前、古奉幣勅使之所座也、于今芝壇殘、一説吉田元地名、而, 〔雍州府志, に行て、終にこゝにて身まかりしも、南朝へ折々參りつかふる便よきを思, ひし心ゆえなるにや, より仕へ奉りしにそ、其時の春宮大夫は堀川, ト部家之稱號室町也、近世避室町家之稱號稱吉田、然則世所謂吉田兼好、亦, 勅使塚, 門勅使塚, 此御所に御座の事, 九補遺古蹟門, 増鏡に見えたり、, 愛宕郡, 醐天皇ノ, 東宮タリ, シ時ヨリ, 兼好後〓, 吉野ヲ稱, シテ當代, 奉仕ス, 吉田ハ地, トイヘリ, 名, 南朝正平五年北朝觀應元年四月八日, 六一〇
割注
- 此御所に御座の事
- 九補遺古蹟門
- 増鏡に見えたり、
- 愛宕郡
頭注
- 醐天皇ノ
- 東宮タリ
- シ時ヨリ
- 兼好後〓
- 吉野ヲ稱
- シテ當代
- 奉仕ス
- 吉田ハ地
- トイヘリ
- 名
柱
- 南朝正平五年北朝觀應元年四月八日
ノンブル
- 六一〇
注記 (34)
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