『大日本史料』 6編 13 貞和5年11月~観応元年11月 p.947

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〔參考〕, はいひたる也、去月十三日、參考に當作去年九月といへるはさることにて、, したりしこと、三池文書に見えたり、大炊助は件の兄弟か中の子なるへし、, 給ひしこと、上にくはし、宅磨別當太郎守直は、太平記の異本にも、皆宗直に, にいへる玉名郡木葉城なるへし、鹿子木大炊助は、上に見えたる三池か一, 發向したりしか、石見の三隅入道、直冬朝臣に與して、おのれか城に楯籠た, 直冬朝臣の九州へ御下向ありしは、去年九月十三日に、備後鞆を落のかせ, るよしを聞て、先それを攻滅へしとて、石見へ馳越、當國をは大半攻從へ、た, ゝ三隅入道か本城まてやう〳〵に持こらへゐたりし故、中國大略靜謐と, 月、筑紫に落下り給ひしを、討あいらせんとて、師直か弟越後守師泰西國へ, 作るもの得たりとに、詫磨文書に、みれ宗直とあり、後右馬權助ニ任をり、宇, 都宮三河守は、上に見えたる宇都宮大和太郎隆房なり、隆房か城のこと前, 族にて、杢助貞鑑、同左近大夫貞政兄弟共、いつれも肥後國鹿子木庄を兼領, 尊氏ノ京都ヲ發スルコト、二十八日ノ條ニ見ユ、竝ニ參看スベシ、, 〔征西將軍宮譜〕八中國大略靜論の躰なれと、もとは直冬朝臣去年の九, 太平記ノ, 記事ニツ, キテノ考, 南朝正平五年北朝觀應元年十月十六日, 九四七

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  • 太平記ノ
  • 記事ニツ
  • キテノ考

  • 南朝正平五年北朝觀應元年十月十六日

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  • 九四七

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  • 1799,845,74,203〔參考〕
  • 1112,679,58,2204はいひたる也、去月十三日、參考に當作去年九月といへるはさることにて、
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