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いて、兵部卿親王を失ひ奉る, 由、使節を遣したるに、我敵の中に有なから、一功をなささらんも無念なり, き事なりとそ、人申〓る、, す、天下をいひつの後、彼義阿の爲とて、子息奧州、洛中の安國寺、讚州の長興, 寺を建立せられ、命一塵よりもかあくして、沒後に其威上られし事、有かた, 又存命をしめは、面々心元なくおもふへし、所全一命を奉り、思ふ事なく子, 相模の川村山に有ける處へ、息陸奧守顯氏の方より、是迄無異に御上洛の, 抑夢窓國師を、兩將御信仰有ける初は、細川陸奧守顯氏、元弘以前義兵をあ, 孫に合戰の忠を致さすへしとて、使の前にて自害す、此事將軍聞召れ、殊に, 御愁歎深かりき、誠に忠臣の道といへとも、武くもあはれ成し事なり、され, 師と相看し奉り、則受衣し、其後兩將の引導申されにり、眞俗ともに勸め申, けんとて、北國を經て阿波へおもむきし時、甲斐の國の惠林寺にをいて、國, はにや、合戰の度毎に忠功を致し、帶刀先生直俊、左近大夫將監將氏等討死, 七月廿二日、下御所左馬頭殿鎌倉を立御向有し、同日藥師堂谷乃御所にを, されしに依て、君臣万年の榮花をひらき〓まふ、目出度有難き事共也、, 爰に細川四郎入道義阿湯治の爲にとて、, ○中, 略、, 顯氏ト疎, ヲ建ツ, 爲二安國, 寺長興寺, 顯氏父ノ, 石, 正平七年七月四日, 六六〇
割注
- ○中
- 略、
頭注
- 顯氏ト疎
- ヲ建ツ
- 爲二安國
- 寺長興寺
- 顯氏父ノ
- 石
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- 正平七年七月四日
ノンブル
- 六六〇
注記 (26)
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