『大日本史料』 6編 22 延文3年9月~延文5年正月 p.492

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候へく候、かしく、, 後、不可必然歟、心中有ゝ然而猶不抛哀執、, れ候へとも、いまはとかく申され候へとも、かひなき御事にて候、又御す, 九日、天晴、及晩自武家送使者, 丹底思連々、仍注置之、, かたかはりて候とも、よろつかはり候ましき事にて候へは、たのみも申, され、又御上り候なとも、なとかとおほしめし候へは、この御ちからにて、, しに、つ并に御本いとけられ候ける、なにと中〳〵申はあり、おほしめさ, 東面北庇〓之也、而予隱遁後也、件輩以外過分、諸人所用各似古禮、仍如此、, 以光連聞之、有進物云々、本尊唐繪, 世にもひさしき事にて候へかしと、おもひまいられ候よし、よく〳〵申, 五月一日、天晴、抑予在俗之間、毎月朔日、必奉念春日大明神、而弃恩入無爲之, コトハリニスツトハイヘトウケキツルメクミハイマモワスラレハコソ, 六日、天晴、今朝、土岐大膳大夫入道善忠、爲武家使入來、光連申次之、召西向〓, 之、予大直綴、同袈裟、在北障子内、南一間敷圓座召入、先々武家使、不及此儀、召, 以下一餝志送之、爲訪隱遁之幽情歟、有注文, 南朝正平十四年北朝延文四年四月十五日, 土岐三河三, 郎頼宗云々, ノ進物, 武家ヨリ, 武家使, 南朝正平十四年北朝延文四年四月十五日, 四九二

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  • 土岐三河三
  • 郎頼宗云々

頭注

  • ノ進物
  • 武家ヨリ
  • 武家使

  • 南朝正平十四年北朝延文四年四月十五日

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  • 四九二

注記 (24)

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