『大日本史料』 6編 23 延文5年2月~康安元年12月 p.779

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かば、したしきもたちまちにうとみうらみをいだく者多し、南方の敵和田, として上洛仕り、南方の敵をせめほろぼし、將軍の御疑ひをも散じたてま, をごりの高き人にて、我はこれ左馬頭基氏の名代として、南方發向の大將, 威自然に強く、京都にして威勢ある人々は影もなく成て、天下の政事大小, ふどち寄合て、畠山をそしる人あれば、入道聞つけて過怠をかげむとせし, 方の敵を追落し、天下の靜論を致さんと思ひしに、畠山上洛してより、其權, 立て上洛せられたり、京都に有ける大名達は、東國の大勢上洛せよかし、南, つらばやと申す、基氏は此義尤しかるべしとて、すなはち諸將に催促して、, 都合其勢二十万騎を畠山國清入道道誓に差副て、十一月九日に入間川を, 川の人々は、此畠山入道をもてあつかふてぞおほしたる、道誓は又生得に, くおはしまさば、故將軍と故惠源禪門との二の舞成べし、それがし御名代, なりと思へる心根色にあらはれて、無禮なる事おほかりければ、諸將達思, 共に、新將軍も畠山入道にぞ評定し給ひける、これによつて、今まで權威に, ほこりし仁木の一類、ねたむ心ぞ出來ける、仁木をそねみし土岐、佐々木、細, 倉の執事畠山入道は、左馬頭殿に申やう、御兄弟の御中こゝろよからず、樂, 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日, リテ權威, 京都ニ上, 畠山國清, 強シ, 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日, 七七九

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  • リテ權威
  • 京都ニ上
  • 畠山國清
  • 強シ

  • 南朝正平十六年北朝康安元年十一月二十六日

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  • 七七九

注記 (22)

  • 257,613,62,2201かば、したしきもたちまちにうとみうらみをいだく者多し、南方の敵和田
  • 1660,619,64,2197として上洛仕り、南方の敵をせめほろぼし、將軍の御疑ひをも散じたてま
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