『大日本史料』 6編 25 貞治2年3月~貞治3年7月 p.7

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るべし云々, 愚問賢注一卷, 北朝權僧正通嚴寂ス、, 一書として、かく名づけられし也、愚問は良基公の問、賢注は頓阿の答也、頓, 阿は爲世卿の門人なれば、此注趣意もつとも二條家の規模たるべきもの, れ、頓阿法師に尋ねたまひしことを、一々批判申されたる趣を書つらねて, 後普光園攝政良基公、和歌のよみかたにつきて、不審の條々をしるし出さ, 々、五湖釣翁とあり、これは良基公の作名也、耳底記に云、井蛙抄愚問賢注な, どは流布して、人の世に用ゆるものなり、堯孝などのいはれたる事又證ゝ, なり、卷末に頓阿のふみあり、次に奧書あり、貞治第二之暦姑洗強半之春云, 入滅、, 〔群書一覽〕, 〔東寺執行日記〕一三月十日、酉剋隨心院僧正通嚴, 此一卷加披覽候了、可爲證本者也、權大僧都在判, 參考〕, 當一條, らん、仁和寺に候程に、毎事不分明候、廿日ころまかりいて候へく候、その時, 歌學類, 殿正, 四十, 僧正, 一歳, 大樹状追可遣候也、猶々將軍あまりに〳〵面白く書寫へきよし、自筆にて承候、文も候、來臨候へ可申候, 參上仕候へきよし、御ひろう候へく候、かしこ、, 五, 事等候也, らん、仁和寺に候程に、毎事不分明候、廿日ころまかりいて候へく候、その時, 一條經通, ノ猶子, 南朝正平十八年北朝貞治二年三月十日, 七

割注

  • 歌學類
  • 殿正
  • 四十
  • 僧正
  • 一歳
  • 大樹状追可遣候也、猶々將軍あまりに〳〵面白く書寫へきよし、自筆にて承候、文も候、來臨候へ可申候
  • 參上仕候へきよし、御ひろう候へく候、かしこ、
  • 事等候也
  • らん、仁和寺に候程に、毎事不分明候、廿日ころまかりいて候へく候、その時

頭注

  • 一條經通
  • ノ猶子

  • 南朝正平十八年北朝貞治二年三月十日

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注記 (31)

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