『大日本史料』 6編 30 応安元年8月~応安2年6月 p.374

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〔參考〕, さて後征西將軍宮の御事を、菊池武朝申状に、受正平勅裁、爲故大王代官、被積勞功、, しかならす、井澤亨齋か菊池軍記に、後村上帝の第四の皇子泰成親王にておはせしと見, 後太宰帥にならせ給ひて、御歌ともいくらも見えたれとも、此宮の征西將軍になり給ひ, て、筑紫に御下向ありしさまは見えす、しかるに亨齋か、此宮をしも後征西將軍とした, の八皇子おはせし御中にて、いつれの御子なりしや、また正平は何年のことなりしやた, 卯月廿三日藤原上花押, るは、外にさるへき證左なとありしにはあらて、此宮の太宰帥にておはせしより、大か, とあるを見れは、後村上帝、御在位の間、正平の末に、皇子達の中より、征西將軍の御, 四大天王、殊天照大神・八幡大菩薩・高良・玉垂・天滿大自在天神、惣者日本六十與州, 〔征西大將軍宮譜〕九正平廿三年戊申北朝應安元年, えたれとも、此宮は新葉集に、正平十五年住吉の行宮にて生れさせ給ひしこと見え、其, 大少之神義明道御罰可罷蒙候、仍起請文如件、, 後にとて、鎭西へ差下されしことはさたかなれとも、御名字をしるさゝれは、後村上帝, 謹上阿蘇大宮司殿御宿所到來五月八日, 卯月廿三日, 藤原上花押, 南朝正平二十四年北朝應安二年二月十五日, 後征西將, 軍宮ノ考, 菊池軍記, ノ妄ヲ辨, ズ, 南朝正平二十四年北朝應安二年二月十五日, 三七四

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  • 後征西將
  • 軍宮ノ考
  • 菊池軍記
  • ノ妄ヲ辨

  • 南朝正平二十四年北朝應安二年二月十五日

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  • 三七四

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