『大日本史料』 6編 32 応安3年3月~応安3年12月 p.298

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古木を見るかことし、甲の大さ凡二三里四方もや有らん、是はこれまことの蓬莱なりと, 木を植へし、望所の地成就せむ、はた此木生ひ延ひて尺にならは、葉をとりて懷胎の女, りたまひてみ給ふに、龜の甲なり、今の甲とおほしき筋のふとさ龍のことく横たはりて、, する夜拜殿に通夜したまふに、夢の中に衣冠たゝしき貴人いまして、上人をまねき給ふ, 沙門は往古龍宮より出現なり、大黒は傳教大師當社太神宮へ百日社參の時寄附し給ひぬ、, 人にあたへは、安産たるへしとのたまひ、夢覺けるに、顯然として枕の上に楠あり、をし, 建立ありて、毘沙門・大黒の二天をうつし安置したまふ、今に此楠道場の後に殘れり、毘, 戴きあまたゝひ禮拜して歸り給ひ、上人手つからうへたまふより、築地成就、悉く伽藍, 我に知らしめ給はむとて、水出さる成へしとて、しはらく觀念して、やかてもとの。, 世に所謂ふみこみの大黒とて、左りの足を踏出したまふ像なり、今一躰叡山にありて、, とも、更に水いてす、三十五日をへて、あやしきものに堀りあたりぬ、上人井の底に下, に、其所へ行たまへは、二葉の楠二もとあり、一もとをわかちあたへてのたまはく、汝此, いま日の本にたゝ二躰なり、又上人井筒なくむは有へからすとて、堀らせたまふといへ, とく埋めて、其靈龜井を地主權現と稱し給ぬ、それより龜井山と號し、また毘沙門, 圓福寺ヲ建, 立ス, 南朝建徳元年北朝應安三年九月二十八日, 二九八

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  • 圓福寺ヲ建
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  • 南朝建徳元年北朝應安三年九月二十八日

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  • 二九八

注記 (18)

  • 496,752,70,2237古木を見るかことし、甲の大さ凡二三里四方もや有らん、是はこれまことの蓬莱なりと
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